飯田城
2025年4月8日、この日は長野県飯田市(ながのけんいいだし)にある元善光寺(もとぜんこうじ)に参拝した。

そこから車で、県道15号線を走る。
この日は桜が満開だ。
飯田市内に入る。
駅前商店街を通る。
地方の中心街にありがちな地名「銀座」だ。
飯田城跡に到着。
飯田城は、戦国時代末期から伊那谷南部の拠点となり、下伊那では江戸時代まで残ったただ一つの城です。
飯田城の歴史 – 飯田市ホームページ から引用
駐車場が無料なのはありがたい。
飯田城跡
〒395-0034 長野県飯田市追手町2丁目641−30
0265-22-4511
飯田城から周回ウォーキング【飯田市観光】樹齢400年のしだれ桜を巡ってみた!【旅行VLOG、レビュー】長野県南部の中核都市は桜の宝庫!巨大ホットケーキが名物センス抜群カフェ!猫神社もあるよ!
長姫神社(おさひめじんじゃ)が鎮座する。
1880年(明治13年)に創建された。
飯田城は13世紀初めに坂西(ばんざい)氏により築かれたといわれる。
1554年(天文23年)武田信玄が侵入し、以後30年間武田氏の領となる。
天正10年(1582年)に織田信長・徳川家康連合軍の甲州征伐で毛利秀頼が城主となる。
本能寺の変で下条頼安(よりやす)が支配した。
その後菅沼定利(すがぬまさだとし)が派遣され、天正14年(1586)の終わりから翌年初めにかけて飯田城へ移った。
天正18年(1590)に毛利秀頼が再び入り飯田城は伊那郡の拠点となった。
毛利秀頼の死後、京極高知(きょうごくたかとも)、小笠原秀政(ひでまさ)、脇坂安元(やすもと)と城主がかわり、堀氏が幕末まで飯田藩を治めた。
長姫のエドヒガン
飯田市美術博物館にやってきた。
飯田市美術博物館
〒395-0034 長野県飯田市追手町2丁目655−7
0265-22-8118
ここに長姫(おさひめ)のエドヒガンという桜の巨木があるのでそれを見に来ました。
胸高周囲約5.4m、樹高約20mの巨樹で、市内では最も大きな桜の木です。飯田藩主堀家の家老安富(やすとみ)家の敷地跡にあるため、安富桜とも呼ばれています。
長姫のエドヒガン – 飯田市ホームページ から引用
これは凄いわ。
推定樹齢450年以上、胸高周囲約5.4m、樹高約20m。
飯田藩主堀家の家老安富(やすとみ)家の敷地跡にあるため、安富桜とも呼ばれている。
エドヒガン。
初代藩主堀親昌(ほりちかまさ)が入部した寛文12年(1672)に植栽されたと考えられている。
看板には樹齢約400年と書かれていた。
ここは家老安富(やすとみ)家の敷地跡で、飯田城の二の丸石組竪穴跡を再現している。
伊那谷の岩石を展示してある。
伊那谷は地層が複雑に入り組んでいて岩石も多種多様。
石のサンプルを展示している。
飯田城二の丸御門跡。
門は移築されて現存する。
桜丸御殿址のヒガンザクラ(夫婦桜)
桜丸御殿址のヒガンザクラ(夫婦桜)にやってきた。
この桜は、1つの桜の木が彼岸桜と枝垂れ桜を咲き分けているかのように見えますが、2つの桜が根元で合体しておりあたかも咲き分けてるかのように見えます。
桜丸御殿址のヒガンザクラ(夫婦桜)
〒395-0034 長野県飯田市追手町2丁目
擁壁をくりぬいて幹を出している。
ここはかつて飯田城を構成する郭のひとつで、脇坂氏時代(1617〜1671)に多くの桜が植栽されたことで桜丸と呼ばれるようになった。
1つの桜の木が彼岸桜と枝垂れ桜を咲き分けているかのように見える。
2つの桜が根元で合体している。
樹齢約400年。
樹高20m、周囲10m。
桜丸御門(通称赤門)は脇坂安元(わきさかやすもと)が建てた御殿の正門。
城主の掘氏は佐幕派だった。
このため明治維新後の廃城で飯田城は徹底的に破壊された。
赤門は飯田城で唯一の遺構として現存する。
1754年に上棟された。
後は長野県飯田合同庁舎。
図書館と飯田市立追手町小学校。
×追手前、〇追手町。
KURANO
銀座通りまで歩いてきました。
JR駅前を区画整理して再開発したようだ。
ケーキ屋ない?
おばあが3つの言葉しか言わなくなっています。
喫茶店を探しながら歩いて行く。
めがね橋。
江戸時代は谷川という深い谷で急坂を上り下りしていたが明治に埋め立てた。
KURANOという喫茶店を見つけた。
“KURANO”は南信州飯田市にある酒蔵をリノベーションした
コーヒーとホットケーキのお店です。
KURANO
〒395-0021 長野県飯田市仲ノ町1丁目3
0265-48-8121
こちら側が入口。
セミセルフサービスの店だという。
ホットケーキがウリの店のようだがプレッツェルやドーナツもある。
なかなかいいじゃない。
一番奥のテーブル席をゲット。
アンティークのソファーセットだ。
蔵をリノベーションした天井が高い空間。
コーヒー豆を選べる。
おじいはホットケーキとブラジル。
おばあはシナモンロールとマンダリン。
かなり大きくてビックリ。
メイプルシロップは全部かける。
普通においしいです。
ブラジルコーヒーを飲んでみる。
濃い。
香りがいいわぁ〜。
おばあのマンダリンコーヒーも飲んでみる。
これはスッキリ。
おいしい、ふわっとしてるね。
専照寺
おなかいっぱいで苦しいくらいです。
こんなところにしては。
失礼なやつ。
ひなびた商店街の中では。
地震が来たら怖そうな感じですもんね。
専照寺にやってきた。
専照寺
〒395-0015 長野県飯田市伝馬町2丁目9
0265-21-3171
しだれ桜が凄いわ。
山門は1872(明治5年)に移築された伊豆木陣屋の太鼓門。
樹齢約400年以上。
曹洞宗の寺だ。
1604(慶長9年)に飯田城主小笠原秀政の帰依により現在地に移転し、枝垂れ桜はその時に植樹されたと推定される。
山号は白龍山。
正永寺
正永寺まで歩いてきた。
曹洞宗の寺だ。
正永寺
〒395-0015 長野県飯田市江戸町3丁目246−1
0265-22-3204
1408年(応永15年)に飯田城主の坂西由政が建立した。
坂西家が滅んだあと1567年(永禄10年)に能霊自果和尚が曹洞宗の寺として再興した。
正永寺の枝垂れ桜は樹齢350年から400年、樹高8m、幹周3.8m。
現在の本堂1913年(大正2年)に再建されたもの。
本尊は虚空蔵菩薩。
山号は圜悟山。
魚鹽観音(ぎょらんかんのん)を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされる。
魚籃(魚を入れる籠)を持っている。
黄梅院
黄梅院(おうばいいん)にやってきた。
黄梅院は天正10年(1582)、島田村(飯田市松尾)に創建されましたが、飯田城主脇坂氏の命により、現在の地に移ったといわれています。武田信玄と三条夫人の間に生まれた黄梅院姫の菩提寺(ぼだいじ ※2)として建立されたとの言い伝えもあります。
黄梅院
〒395-0015 長野県飯田市江戸町3丁目251
0265-23-7717
黄梅院の枝垂れ桜は推定樹齢400年、樹高約18m、幹周5.5m。
お花見で駐車場は利用できない。
1582年(天正10年)に創建された。
武田信玄と正室・三条の方との間に生まれた黄梅院姫の菩提寺として建立されたとも伝えられる。
曹洞宗の寺で山号は青松山。
当初は島田村(現在の飯田市松尾)にあったが移転し、その際に植樹されたと考えられる。
飯田市の天然記念物に指定されている。
本堂はコンクリート造りです。
富士山稲荷神社
富士山稲荷神社にやってきた。
社伝によると、慶長6年(1601)2月、小笠原兵部太夫秀政が飯田5万石に封じられた際、飯田城の鬼門にあたる破魔射場(現在 浜井場)の藤山(ふじやま)に、災難除の意味も込め、崇敬する稲荷大神を祀ったのが始まりであるといわれています。
富士山稲荷神社
〒395-0022 長野県飯田市浜井町3363
0265-22-3316
猫神 (ねこのかみ)を祀っていることで知られる。
祭神が猫だったら怖いわ。
祭神は冨士山大神(ふじやまのおおかみ)
倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)
衣・食・住をつかさどる守護神とされる。
慶長6年(1601)小笠原兵部太夫秀政が飯田城の鬼門にあたる藤山(ふじやま)に稲荷大神を祀ったのが始まりであるといわれている。
事業を導き、病、災難から加護する幸福豊楽の神ともされる。
御朱印には猫神社のものもある。
猫神社。
これは仮殿だそうだ。
猫絵馬。
秋葉神社。
奥院(おくのいん)眷属殿(けんぞくでん)。
お稲荷様のお使いとして知られる御眷属(お狐)様をお祀りしている。
桜が植えられている。
猫の神社は高知に箕越猫祠社(みのこしねこしゃし)がある。

帰路
天竜川の段丘の上だ。
向かいの小高い山が飯田城趾。
下りてきてまた上り返しです。
駐車場に戻ってきた。
無料gpxファイルのダウンロードはこちら /wp-content/uploads/gpx/workout-hiking-20250408.gpx