總社大神宮
2025年11月7日、この日は福井県勝山市にある越前大仏に参拝した。
そこから車で勝山市を走る。

県道17号線を九頭竜川沿いに走っていく。

11月だというのにヒマワリが咲いていた。
永平寺町の鳴鹿山鹿で九頭竜川を渡る。

福井市に入り国道8号線を進む。並木が紅葉してきれいだ。

北陸新幹線の高架をくぐり、越前市の武生(たけふ)にやってきた。

古い街並みを走っていく。

總社大神宮に到着した。

總社大神宮
〒915-0813 福井県越前市京町1丁目4−35
0778-22-1127
隠れた魅力3選【30分で回る】紫式部も住んだ越前市武生【旅行VLOG、レビュー】縄文遺跡/越前国府跡/府中町/うだつ/武生公会堂/いわさきちひろ生家/散策ルート解説!
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現在は越前市だが、2005年までは武生市(たけふし)という名称だった。
「途中、とても古い町並みが残っておりました」
町の中心部にある神社だ。
参拝者駐車場は20台ほどあり、無料で利用できる。

総社大神宮は国司の巡拝、奉幣のために神々を一社にまとめて創建された神社。この神社の存在が国府であったことを示す根拠の一つともなっている。戦国時代には前田利家により府中城が拡張されたときに、現在地に移されたといわれる。1926年(大正15年)に竣工した本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りのいずれも鋼板葺きで、国府の社の風格が感じられる。市民から「おそんじゃさん」と呼ばれ親しまれている。
大きな鳥居がある。

七五三詣りの時期である。
「そろそろ七五三ですね」
武生は平安時代に国府が置かれており、越前国の中心地だった。
国府に赴任すると国内の一宮、二宮を全て回らねばならなかった。
広いと大変なので一ヶ所にまとめたのが「総社」である。

紫式部の父が越前守として赴任し、紫式部自身もここで暮らしたことで知られている。
「七五三ですからね」
主祭神として大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。

総社であるため、相殿に多くの祭神を祀っている。
神馬の銅像もある。

「本殿も大きいね」

「ここに国府って書いてるよ」
「赴任してくると一宮二宮を回らないといけないけれども、大変なので全部集めて総社にした」
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「高知もそうですけど」
かつては越前、越中、越後を含む大国だったが、7世紀末に3つの国に分割された。
蔵の辻
歩道が整備され、古い町並みが残っており雰囲気が良い。

「電柱を地中化すると良さげですけれども」
「それはなかなか大変だ」
「アーケードみたいなんですけれども、上に瓦屋根がのっているね」
「珍しいね。しかも現役のブティックですよ」

案内看板でルートを確認する。

ここが武生街歩きの定番スポットである府中町だ。
伝統的な民家が立ち並んでいる。

現在はレンタルスペースになっている。
「この通り良さそうだね」

まず「ちひろの生まれた家記念館」へ向かう。
「窓際のトットちゃんの挿絵の方」
ちひろの生まれた家記念館
「うだつ」の上がる街並みが続いている。

隣家の火事からの延焼を防ぐためのもので、高価だったことから財を成した家にしか設置できなかった。
「うだつが上がらない」とは財産を築けないという意味である。
このあたりはうだつが上がっているので、相当栄えた町だったと分かる。
「向こうの銅器のお店も看板が江戸時代みたいな感じですね」
「結構残っているよね」
「いわさき ちひろ」は1918年生まれの画家だ。
水彩画で子どもをテーマに描き続けた、日本を代表する絵本画家・童画家である。
『窓ぎわのトットちゃん』の表紙絵や挿絵を担当したことで有名だ。
ちひろの生まれた家記念館に到着した。

「ちひろの生まれた家そのまんま残ってるんやね」
ここは、ちひろの母である文江が暮らしていた大正時代の住まいを復元した施設だ。
「ちひろの生まれた家」記念館は、ちひろの母である文江が暮らしていた大正時代の住まいを復元し、2004年に開館しました。
記念館では、文江が新任教師として武生に赴任した当時の部屋をイメージした和室や、東京のちひろの自宅にあったアトリエの再現、ちひろの人生をたどる資料展示など、当時の趣や親子の足跡に触れることができます。
彼女の父は日本帝国陸軍築城部の建築技師、母は教師だったという。
「隣の家を見ていたおじい」
「午後4時閉館」
入館料は300円である。
越前市武生公会堂記念館
八坂神社まで歩いてきた。

祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
「お社は新しいですね」

武生公会堂記念館にやってきた。
「広い駐車場がここにあるので観光はここに停める方がいい」

1929(昭和4)年に開館し、武生の文化や行政の中心でありランドマークであった公会堂。老朽化により取り壊しも検討されたが、多くの市民からの要望で建物は保存活用することになり、1995年に現在の姿に生まれ変わった。2005年に国の登録有形文化財に登録され、現在は博物館施設として越前市の歴史やゆかりの品を展示。2階には建設当初の設計図を基に復元された貴賓室があり、家具や調度品に飾られた昭和初期の公会堂の雰囲気を味わえる。
銅像は幕末の実業家で蚊帳を大量生産した山本甚右衛門翁像だ。

石碑には「武生」の名の由来が記されている。
公会堂は1929(昭和4)年に開館した。

現在は博物館施設として越前市の歴史やゆかりの品を展示している。
入館無料であり、国の登録有形文化財だ。
入館者計測用の投票用紙は和紙だった。

越前は日本三大和紙の産地である。
内部はこんな感じだ。

越前、越中、越後にまたがる大国だったが、奈良時代から平安時代にかけて分割された。
紫式部が暮らしたことで有名であり、大河ドラマでも取り上げられた。
木曽義仲が陣を張った場所でもあり、越前国の中心地だった。
明治時代に「武生」と改称した。
古代の歌謡『催馬楽(さいばら)』に登場する、奈良・平安時代の越前国府の呼称「たけふ」に由来する。
2005年に越前市となったが、江戸時代までは「府中」だった。
この周辺には縄文時代から人が住み続けており、遺跡も発見されている。

関ヶ原のあと、徳川家康の次男である結城秀康が福井藩主となり、越前松平家の祖となった。
館内には当時の古地図も展示されていた。

「メチャクチャおじい」
越前おろしそばは、昭和天皇も召し上がりお代わりまでしたという。
また、寺の数が220、神社の数が153と、県内随一の寺社数を誇る。
正倉院には越前和紙が保管されているそうだ。
昭和天皇の即位を記念する御大典事業として公会堂が建設された。
昭和初期の代表的な洋風建築である。

二階では企画展や特別展が行われている。
普段は見学できるそうだが、この日は残念ながら貴賓室は見られなかった。
昭和9~30年までは町役場(市役所)として使われ、その後は公会堂として利用された武生のシンボル的な建物である。
蔵の辻
スーパーホテルに泊まる予定だったが、安いところを見つけて変更した。
部屋の広さは2倍以上ある。
「いろんなことを古民家を活用してやっている」

「ここがメインの観光ポイントだそうです」

江戸時代以降、関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えた。
市街地活性化の一環として整備され、ブティックなども出店している。
この地区では江戸時代以降関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えており、それぞれ商人たちの蔵が並んでいました。今は市街地活性化の一環として整備され、蔵の辻として市街地の新名所になろうとしています。
「ポケットパークみたい」
かつての商人たちの蔵が建ち並び、現在は喫茶店なども営業している。
アーケードの方から来ると、こちらから入って来られる。

「きれいな町だ」
有料の駐車場があり、近くには大きな鯉も泳いでいた。
「おじいはこういう所がいいのかなと思った」
「ここに入りたい」
「いいエリアだね」

総社大神宮は国司の巡拝、奉幣のために神々を一社にまとめて創建された神社。この神社の存在が国府であったことを示す根拠の一つともなっている。戦国時代には前田利家により府中城が拡張されたときに、現在地に移されたといわれる。1926年(大正15年)に竣工した本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りのいずれも鋼板葺きで、国府の社の風格が感じられる。市民から「おそんじゃさん」と呼ばれ親しまれている。
「ちひろの生まれた家」記念館は、ちひろの母である文江が暮らしていた大正時代の住まいを復元し、2004年に開館しました。
1929(昭和4)年に開館し、武生の文化や行政の中心でありランドマークであった公会堂。老朽化により取り壊しも検討されたが、多くの市民からの要望で建物は保存活用することになり、1995年に現在の姿に生まれ変わった。2005年に国の登録有形文化財に登録され、現在は博物館施設として越前市の歴史やゆかりの品を展示。2階には建設当初の設計図を基に復元された貴賓室があり、家具や調度品に飾られた昭和初期の公会堂の雰囲気を味わえる。
この地区では江戸時代以降関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えており、それぞれ商人たちの蔵が並んでいました。今は市街地活性化の一環として整備され、蔵の辻として市街地の新名所になろうとしています。