魚貴
2026年2月12日。前回は高知県高岡郡佐川町でバイカオウレンを見た。
この日は高知県須崎市にある魚貴(うおたか)でランチである。
過去記事はこちら。
魚貴 須崎本店
〒785-0041 高知県須崎市西崎町43
0889-42-5170
【白い岩だらけ】四万十川は仁淀川と別物だった【旅行VLOG、レビュー】魚貴の刺身定食1,200円も紹介!日本最後の清流・四万十川で高岡神社〜古渓城跡ウォーキング
おじいは刺身定食1,200円。
「おいしいです。」
おばあは日替わり定食980円。フライは刺身だった魚のようだ。
高岡神社
高知自動車道で四万十町にやってきた。
現在は四万十中央ICが終点である。国道56号線から江川崎方面へ曲がる。
この小さな川が四万十川である。
高岡神社(たかおかじんじゃ)に到着。駐車場はとても広い。
高岡神社駐車場
〒786-0018 高知県高岡郡四万十町仕出原182
この駐車場は平成19年に完成した。
高岡神社は五社神社とも言われ、5つの社殿が並ぶ。6世紀頃、伊予の豪族・河野氏の一派が一族の争いから当地に逃れ、土地を開墾して安住の地と定めたという。
仁井田郷の総鎮守である。
天長3年、弘法大師がここに四国八十八ヶ所霊場の札所として福円満寺を創建した。5つの社に分け、それぞれに本尊を祀った。四国八十八ヶ所霊場第37番札所・岩本寺は、この神社の別当寺だった。
案内看板でルートを確認する。
「普段は上流の方へ行ってますね。今日はちょっと下流の方へ。一回国道に出るということですね。」
アバウトおばあ。
今宮。
「四国はクマがいないのがメリット。」
森ノ宮。
大三島神社。
四万十川
ずっとこれが四万十川の河川敷である。
農家のおばちゃんと思ったら、かかしだった。
四万十川沿いに歩いて行く。国道まで歩いてきた。窪川橋を渡る。
「酪農」という石碑がある。高知県内でも古くから酪農・畜産に取り組んできた地域だ。
比較的上流域なので川幅が狭い。四万十川は「日本最後の清流」として知られる。
古渓城あとにやってきた。
慶長六年(1601)土佐二十四万石の藩主となった山内一豊公により、窪川郷一帯五千石と志和浦代官役を与えられた林傅左衛門勝吉は、土佐西郡の防備のためこの山城を築いた。
古渓城あと から引用
慶長六年(1601)に築城された。上にある四万十緑林公園が城跡である。ベンチが整備されている。
これ来ただけだ。
JR影野駅まで続いている。15kmある。「四国のみち」で、一応これがお遍路ルートということなんですね。
ここで休憩ミカンタイム。これを右に行くと第37番札所・岩本寺である。
帰路
ここから四万十川の対岸を戻る。ここを行くと四万十緑林公園。
古渓城の城跡である。河川敷を川沿いに歩いて行く。
車で渡ってきた橋を渡る。
最後の清流なんて言われるが、案外この岩がゴツゴツとある。白っぽい岩。
日本一の清流の仁淀川は緑っぽい岩で、水は仁淀川の方が岩が青いからきれいに見える。緑色片岩によって「仁淀ブルー」になる。
四万十川の白い岩は、主にプレートの沈み込みによって運ばれてきたチャート、石灰岩、または白い砂岩や凝灰岩だと考えられている。
駐車場に戻ってきた。
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慶長六年(1601)土佐二十四万石の藩主となった山内一豊公により、窪川郷一帯五千石と志和浦代官役を与えられた林傅左衛門勝吉は、土佐西郡の防備のためこの山城を築いた。