筥崎宮とは
筥崎宮(はこざきぐう)は、福岡県福岡市東区箱崎(ふくおかけんふくおかしひがしくはこざき)にある筑前国一宮だ。
祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)
大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮とともに、三大八幡宮のひとつとされている。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
歴史|福岡の神社 筥崎宮【公式】 から引用
筥崎宮
福岡県福岡市東区箱崎1丁目22−1
092-641-7431
駐車場
2021年11月19日、この日は住吉神社〜櫛田神社と歩いた。
そこから車で、筥崎宮(はこざきぐう)にやってきた。
駐車場は自走式の有料駐車場で、とても広い。
60分200円で以後60分ごとに100円かかる。
最高点の標高: 4 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 4 m
累積標高(下り): -5 m
総所要時間: 00:19:17
参道
鳥居が特徴的な形をしている。
先端が反り上がり貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居で、「筥崎鳥居」と呼ばれている。
石材は長崎県鷹島の特産品である阿翁石が使われている。
この鳥居の先は海に通じていて浜之鳥居が建っている。
お潮井浜(箱崎浜)といい、お潮井と呼ばれる砂(真砂)が参拝の清めに使われる。
筥崎宮に面した箱崎浜には「お潮井浜」があり、厄除けのために真砂を持ち帰える「お潮井取り」が習慣。
以前参拝した時の思い出を懐かしむおばあ(苦笑)
その時は5回ほど雷が落ちた。
シルク・ドゥ・ソレイユが公演中で、2015年と随分前のことだ。
開催期間
2019年2月15日(金曜日)~2019年3月31日(日曜日)
ダイハツ キュリオス 福岡公演 福岡ビッグトップ【筥崎宮外苑】2019年 | 福岡・博多の観光情報が満載!福岡市公式シティガイド よかなび から引用
境内
一の鳥居まで歩いてきた。
1609年に藩主黒田長政が建立したという。
由緒書き。
923年に筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したという。
楼門には「敵國降伏」の扁額が掲げられている。
亀山上皇が奉納した醍醐天皇の宸筆(しんぴつ)と言われる。
敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。 縦横約18センチで全部で三十七葉あります。
社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名で、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものが掲げられています。
歴史|福岡の神社 筥崎宮【公式】 から引用
湧出石(わきでいし)
触れると運が湧き出ると言われるパワースポットだ。
参拝
楼門は1594年に小早川隆景が建立した。
元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。
一般の参拝者は、ここで参拝する。
石灯籠は1587に太閤秀吉が催した箱崎茶会に随行した千利休による奉納と伝わり、国の重要文化財に指定されている。
天正15年(1587)太閤秀吉が九州平定後、本宮に滞陣して博多町割りなどを行いました。 その時秀吉が催した箱崎茶会に随行した千利休による奉納と伝わります。 南北朝時代、観応元年(1350)の銘があります。
※拝観は放生会、さつき大祭期間中のみとなっております。
境内のご案内|福岡の神社 筥崎宮【公式】 から引用
本殿は見えない。
1546年に大宰大弐大内義隆が建立したものだ。
西末社にも参拝する。
稲荷大明神の幟が立つのは東末社。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 3 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 0 m
累積標高(下り): 0 m
総所要時間: 00:14:12