壇上伽藍/和歌山県高野町【世界遺産】空海が築いた天空の宗教都市

スポンサーリンク

壇上伽藍とは

壇上伽藍(だんじょうがらん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山(わかやまけんいとぐんこうやちょうこうやさん)にあり、世界遺産に指定されている。

壇上伽藍は一般寺院でいう本堂で、金堂は高野山全体の総本堂で、高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。

ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並び、不動堂は国宝に指定されている。

お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所です。お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれました。その壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、古来より大師入定の地である奥之院と並んで信仰の中心として大切にされてきました。以後の各諸堂の案内順番は、高野山に伝わる『両壇遶堂(りょうだんにょうどう)次第』に則っています。ご紹介順に諸堂をご参拝されますことをおすすめ致します。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

壇上伽藍/和歌山県高野町【世界遺産】空海が築いた天空の宗教都市【旅行VLOG/4K】金堂,大塔,御影堂,不動堂,国宝,大門,総門,仁王像,町石,中門,四天王像,六角経蔵,御社,鐘楼,准胝堂,根本大塔
壇上伽藍(だんじょうがらん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山(わかやまけんいとぐんこうやちょうこうやさん)にあり、世界遺産に指定されている。壇上伽藍は一般寺院でいう本堂で、金堂は高野山全体の総本堂で、高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並び、不動堂は国宝に指定されている。20...

大門

2022年1月3日、この日は町石道を通って、九度山から高野山まで歩いてきた。

高野山町石道/和歌山県九度山町【ウォーキング】世界遺産の道20kmを辿る
町石道は、慈尊(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道だ。『紀伊山地の霊場と参詣道』の「高野参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。また、国の史跡「高野参詣道」としても指定されている。慈尊院〜丹生官省符神社〜石道展望台〜二ッ鳥居〜神田地蔵堂〜笠木峠〜矢立茶屋〜大門と冬の高野参詣道を歩く。

高野山の入口、大門に到着だ。

大門は高野山一山の総門で、1705年に再建されたものだ。

高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。 また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

無事に到着できて喜ぶおじい。
おばあは感激はないようだ(苦笑)

案内看板でルートを確認。

大門の由緒書き。

しかし、デカイね。

317年前の建設だが、高さ25.1mもある。

仁王像は江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作で、東大寺南大門の仁王像に次いで日本で2番目の巨像だという。

大門をくぐると、屋根に雪が積もった高野山の街並みが見えてきた。

街歩き

高野山の町中にも、町石(ちょういし)があった。

町中を歩いて行く。

池には氷が張っていた。

高野山らしく、ファミリーマートもデザインがそれっぽい。

その向かいが、壇上伽藍だ。

中門

中門(ちゅうもん)に到着。

金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる五間二階の楼門です。壇上伽藍はかつて天保14年(1843年)の大火により、西塔のみを残して、ことごとく焼き尽くされました。先代の中門もその折に失われ、今日までなかなか再建叶わずにおりましたが、高野山開創1200年を記念して170年ぶりに、この度再建されました。持国天(じこくてん)像・多聞天(たもんてん)像・広目天(こうもくてん)像・増長天(ぞうちょうてん)像の四天王がまつられています。 なお、持国天像と多聞天(毘沙門天)像は二天門であった先の中門に安置されていた像で、類焼をまぬがれてこの度保存修理が完成しました。広目天像・増長天像は現代の大仏師松本明慶師の手により新造されたものです。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

中門の説明看板。

1843年に焼失したが、2015年に再建された。

金剛峯寺をはじめ117もの寺院を有する広大な信仰の地、高野山。大林組が施工している中門は、高野山開創の折、弘法大師が真っ先に整備に着手したといわれる「壇上伽藍(がらん)」の入り口に据えられたが、長い歴史の中で焼失と再建を繰り返してきた。

今回の再建は8代目に当たり、天保14(1843)年の焼失から172年ぶり。高野山開創1200年記念大法会事業の中心に位置する大事業だ。

再建中の中門は木造建築で棟高が約16m。その大きさは、残っていたかつての中門の柱基礎の間隔を基に、日本建築特有の比率で割り出された。五間三戸楼門(柱間が5つのうち、真ん中の3つ分が出入り口)で、両脇には、天保14(1843)年の大火の折に運び出され、類焼を免れた2つの像が、長い時を経て再び祀(まつ)られることになっている。

悠久の歴史を紡ぐ地の中門再建事業 | OBAYASHI Thinking|大林組 から引用

雪解け水が落ちてきていて、濡れそう。

四天王像のうち持国天像と多聞天像は焼失を免れ、修復されたものだという。

金堂

金堂(こんどう)

1932年に再建されたものだという。

高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りですが、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

再建されたものなので、国宝ではない。

壇上伽藍は雪が押し固められて、氷のようになっていた。

参拝するため靴を脱がないといけないが、登山靴を脱ぐのに苦労しているおばあ。

なんと、この日は拝観料が無料になっていた。

本尊は薬師如来(やくしにょらい)

壇上伽藍

六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

鳥羽法皇の皇后の美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため建立したもので、1934年に再建されたものだ。

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

御社(みやしろ)

高野山の鎮守で、国の重要文化財になっている。

社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。 丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられています。現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

鐘楼(しょうろう)

西塔(さいとう)

1834年に再建されたものだ。

お大師さまは、大塔と西塔を、大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として二基一対として建立する計画をお持ちでした。しかし、諸般の事情により建設が遅れ、お大師さま入定後の仁和2年(886年)に完成に至ったものです。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

准胝堂(じゅんていどう)

1883年に再建されたものだ。

本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。この准胝観音は、伽藍が建立された当時、食堂に安置せられていたと伝えられています。その後、天禄4年(973年)頃になって、この堂が建立され、移動されたということです。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

×根本中堂
〇根本大塔

根本大塔(こんぽんだいとう)も無料で拝観できた。

国宝に指定されている不動堂(ふどうどう)

14世紀前半に再建されたものだという。

建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女である八條女院(はちじょうにょいん)内親王というお方が発願され、行勝(ぎょうしょう)上人によって建立されました。もともと一心院谷(現在の金輪塔<きんりんとう>所在地付近)に建てられていましたが、後世になって伽藍へ移築されました。現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。

名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 から引用

宿坊に向かった。

高野山別格本山総持院【宿坊】平安時代の開基という古刹で宿泊、評判の精進料理を堪能する
高野山別格本山総持院(總持院)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある宿坊だ。総持院は平安時代の開基という古刹だ。本尊は、阿弥陀如来。翌朝は本堂で6時からお勤め。お寺とは思えない、快適な部屋と料理だった。
合計距離: 19563 m
最高点の標高: 850 m
最低点の標高: 64 m
累積標高(上り): 2079 m
累積標高(下り): -1304 m
Download file: 20220102_高野山町石道.gpx
スポンサーリンク