深妙寺とは
深妙寺(じんみょうじ)は長野県伊那市西春近(ながのけんいなしにしはるちか)にある寺だ。
感応山深妙寺は、平安時代、権現山のふもと小殿寺に権現信仰(真言宗)の寺院として開創されたと言われます。その後、山寺垣外に移りました。
伊那春近領に工藤犬房丸祐時(曽我物語)が流罪になり当山の密教に帰依し、本堂を再建されたと伝えられています。
日蓮宗 深妙寺
〒399-4431 長野県伊那市西春近 小出三区3160
0265-72-5070
毎年約1万5000人が訪れる「あじさい祭り」に行ってみた!あじさい寺『深妙寺』は曽我兄弟仇討ちゆかりの地!日本一の石臼庭園もあるよ!【旅行VLOG、レビュー】水琴窟や長姫の鈴虫悲話も必見!
駐車場
2024年7月1日、この日はかっぱ寿司 伊那店でランチを済ませた。
そこから車で、伊那西部広域農道に入る。
深妙寺(じんみょうじ)にやってきた。
駐車場はとても広い。
境内
平安時代、権現山のふもと小殿寺に権現信仰(真言宗)の寺院として開創されたと言われる。
曽我物語で知られる源頼朝の家臣工藤犬房丸祐時が流罪になり、帰依した。
あじさい寺として知られる。
県内外から毎年約1万5000人が訪れるという。
ニホンアジサイを中心に200種2500株を植栽し、「あじさい寺」として知られる同寺。青、紫、白、ピンクなど色鮮やかなアジサイが境内を彩り、特に境内から裏山にかけて33体の観音像を囲むように咲き誇るアジサイは写真撮影スポットとしても人気を集めている。
ニホンアジサイを中心に200種2500株が植栽されている。
参道には石臼が敷かれている。
約2,000個の石臼でつくられているそうだ。
日本一の石臼庭園として知られる。
108もある煩悩を砕いてほしいとの願いが込められている。
「念ずれば花ひらく」坂村真民。
坂村真民(さかむら しんみん)は1909年生まれの仏教詩人で、愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構えていた。
おばあが水琴窟にチャレンジです。
蛙に水をかけると音がするという仕掛け。
この日は雨なので、ずっと聞こえていたのだった(苦笑)
お休み処
お休み処に入ってみた。
内部はこんな感じ。
長野県は日本一の「あかりのふるさと」だという。
無料のお茶の接待がある。
ちょうど7月7日まで「あじさい祭り」が開催されている期間中だった。
庭も見られて最高だ。
長姫堂
お茶をいただいて出てきた。
1299年に日蓮宗に改宗された。
まず案内看板でルートを確認。
山号は感應山(感応山)
鬼子母神堂。
元禄時代の建造物。
「かなであふ 姫が形見の鈴虫(むし)の音は お蝶の歌と 人の聞くらん」
文政12年、京都の公家の姫君長姫が、乳母のお蝶と東国に旅立ち伊那春近郷にたどり着く。
お蝶は姫の旅路の慰めに鈴虫を携えたが、7歳の病弱な長姫は旅の途上で亡くなる。
里人は鈴虫の音を聞くたびに、この悲話を語り継いだ。
文政12年、京都の公家の姫君長姫が、乳母のお蝶と東国に旅立ち伊那春近郷にたどり着きます。
お蝶は姫の旅路の慰めに鈴虫を携えました。しかし、7歳の病弱な長姫は旅の途上、春近郷であえなく亡くなられてしまいます。里人は鈴虫の音を聞くたびに、この悲話を思うのでした。
長姫とお蝶の御霊をお祀りしているのが当寺の長姫堂です。
姫君と鈴虫の伝説 から引用
あじさい
順路に従い、アジサイを見に行く。
ニホンアジサイを中心に200種2500株が植栽されている。
麦が実っていた。
約45年前、重盛要弘住職の祖母が植え始め、先代が増やした。
境内から裏山にかけて33体の観音像を囲むように咲き誇る。
「あじさい寺」として知られる。
県内外から毎年約1万5000人が訪れるという。
7月7日まで「あじさい祭り」が開催されている。
お茶とお菓子が無料でサービスされていた。
深妙寺(じんみょうじ)
マスコミでは「見頃」になっていても、少し早いのはデフォルト(苦笑)
一番高い場所まで歩いてきた。
このすぐ先が、先日行った「かんてんパパ」だ。
閻魔大王像があり、その奥に閻魔洞(洞窟)があるそうだ。
お寺を見下ろす。
蓮池
蓮池は咲いていなかった。
咲きかけていた。
あかり館は、珍しい灯火器を展示しているそうだ。
「あかり」を得るのに苦労した先人の慎ましやかな生き方が伝わってきます。
「あかり」を経典では、「灯明」と表現し大切にしてきました。