旧立川番所書院とは
旧立川番所書院(きゅうたぢかわばんしょしょいん)は、高知県長岡郡大豊町立川下名(こうちけんながおかぐんおおとよちょうたじかわしもみょう)にある江戸時代の番所だ。
現在の立川番所跡建物は、川井家十代立川口番所役人川井惣左右衛門勝忠が寛政年間(1789-1800)建築したものであったが、明治時代になって個人の手にわたり旅人宿となって一部改築せられていた。昭和48年町が譲り受け、昭和49年旧立川番所書院として国の重要文化財に指定された。
旧立川番所書院
〒789-0427 高知県長岡郡大豊町立川下名28−1
0887-72-0450
愛媛県への冒険ルート紹介!土佐藩主参勤交代の道『北山越え』をドライブしてみた!【旅行VLOG、レビュー】平安時代から続く要衝『立川番所』笹ヶ峰峠で旧笹ヶ峰トンネルを通り新宮のブナの活き水へ!
駐車場
2024年6月7日、この日は杉の大杉(すぎのおおすぎ)を見て、道の駅大杉でランチを済ませた。
そこから車で、旧立川番所書院(きゅうたぢかわばんしょしょいん)にやってきた。
最高点の標高: 842 m
最低点の標高: 215 m
累積標高(上り): 889 m
累積標高(下り): -872 m
総所要時間: 01:18:40
藩主参勤交代の土佐北街道で、土佐路最後の藩主の宿所となった。
土佐の三大番所の一つであった。
享保三年(1718)六代豊隆(とよたか)の時から、それまでの海路を陸路に改めた。
駐車場はとても広い。
書院
書院の公開は土日祝日のみ。
国の重要文化財に指定されている。
日本後記に延暦16年(797)に丹川すなわち立川駅が置かれたとある。
古くから交通の要衝であった。
現在の立川番所跡建物は、川井家十代立川口番所役人川井惣左右衛門勝忠が寛政年間(1789-1800)建築したもの。
参勤交代は海路を使っていた。
風浪や天気のため日数が定かでないため、六代藩主豊隆の時から陸路に改めた。
立川番所は土佐藩最後の宿場となった。
野根山の岩佐口番所、池川口番所とともに土佐の三大番所の一つとされた。
現在の建物は、寛政年間(1789-1800)に建築したもの。
おじいの旧家とほぼ同じ建物だ(笑)
入場料は210円。
裏庭はこんな感じ。
平安時代から都と土佐国府をむすぶ官道の要衝として立川駅は利用されていた。
土佐街道参勤交代道北山越えの石碑。
土佐街道は伊予側の呼称で、土佐では北山越と呼んだ。
以前、明智光秀(あけちみつひで)の娘婿の明智光春(あけちみつはる)の墓に行った時、北山越えの道を少し歩いた。
裏は萱葺き屋根が草ボウボウ(笑)
こうなるから、おじいの旧家は早々に鉄板張りにした。
文久3年(1863年)まで参勤交代の際の本陣として使われていた。
8代藩主の歌碑。
立川御殿茶屋
すぐ近くの立川御殿茶屋にやってきた。
土料理の灯を消してはいけないと立ち上がった女性が、永らく閉まったままだった御殿茶屋に再び灯を燈しました。 山菜そば・うどん いのししそば・うどん
銀ブロウ寿司・赤飯・コンチン・茗荷ダンゴ・碁石茶ゼリーetc メニューも豊富です。
2022年6月に、月1回の営業から、月4回の営業にリニューアルしました。
御殿茶屋 | 大豊ナビ から引用
立川御殿茶屋
〒789-0427 高知県長岡郡大豊町立川下名43
0887-78-0322
月に4回の営業。
名物の立川そばが食べられる。
ボソボソしていて蕎麦というより餅のような麺なのが病みつきになる。
笹ヶ峰峠
県道5号線を走り、笹ヶ峰峠にやってきた。
50分停め10分通行可の時間規制に、なんとか間に合った(冷汗;)
この峠に来たのは初めてだ。
悪路に慣れているおじいも苦労する道なので、よほどのことが無い限り通らない方がいい。
標高822m。
旧笹ヶ峰トンネルを通る。
トンネルは工事していなかった。
擦れ違いは困難だが、思ったよりまともなトンネルだった。
無事に愛媛県側に出てきた。
ブナの活き水
ブナの活き水にやってきた。
橡尾山(とちおやま)に湧き出る活き水を手軽に味わっていただくため、平成11(1999)年に山から水を引いてきたものです。
水の酸化カルシウム含有量を示す硬度は41、軟水です。
ブナの活き水
〒799-0301 愛媛県四国中央市新宮町馬立
高知自動車道の高架の真下だ。
馬立PA(うまだてパーキングエリア)の近くだ。
北は法皇山脈(ほうおうさんみやく)と南は四国山地に囲まれている。
新宮村(しんぐうむら)は土佐街道の要衝であった。
以前は到達困難な秘境だったが、高知自動車道が開通し新宮ICができたことで、アクセスが便利になった。
四国自然100選の橡尾山(とちおやま)と、その西のカガマシ山の中間にあるブナの原生林から流れ出ている。
車で先に進んだ。