ベルンとは
ベルン(Bern)は、スイスの首都だ。
湾曲するアーレ川に囲まれた土地をいかして1191年ツェーリンゲン公ベルヒトルト5世によって造られた町がはじまり。13世紀から自由都市となりさらに発展していった美しい旧市街は、1983年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
ベルン | スイス政府観光局 から引用
Bern
スイス 〒3008 ベルン
半日で回る!ベルン/Bern【スイス観光】世界遺産の街を歩く!ベルン大聖堂からの絶景!世界最大のカラクリ時計!スイスの首都は見どころ満載!【旅行VLOG、レビュー】熊公園からアーレ川は穴場スポット!
トゥーン駅
2023年7月11日、この日はトゥーン(Thun)市内を歩いた。
宿泊していたホテル スペディション(Hotel / Restaurant Spedition)をチェックアウト。
昨日歩いたトゥーン(Thun)駅前の通りを歩いて行く。
トゥーン(Thun)駅に到着。
スーツケースをグリンデルワルト(Grindelwald)駅から「ラゲージ」というシステムでチューリッヒ空港まで送ったので、移動がラクラクだ。
この日は電車でベルン(Bern)に移動する。
おばあがスマホで2時間半有効の切符を買ってくれた。
2番線から10時59分発ベルン(Bern)行き列車に乗車する。
列車が到着。
ひとり9.2スイスフランだった。
アーレ川(Aare)を人が流れていた(笑)
アーレ川(Aare)は、トゥーン(Thun)からベルン(Bern)へと流れているスイス最長の川だ。
ベルン駅
22分でベルン(Bern)駅に到着。
最高点の標高: 573 m
最低点の標高: 524 m
累積標高(上り): 87 m
累積標高(下り): -113 m
総所要時間: 00:47:47
地下街を歩いて行く。
広すぎて観光案内所が分からない(汗;)
牢獄塔
まず駅前の聖霊教会(Heiliggeistkirche)を見学。
ベーレン広場(Baerenplatz)にマーケットが立っていた。
多分、何も買えないでしょう我々の財力では(汗;)
暑いわ。
日本だと100円で売っているバンダナを10スイスフランで売っている!
ケーフィクタワー(Käfigturm)は牢獄塔とも呼ばれる。
1345年まで街の西門として使われていた。
ベルンの街が13世紀に拡張された際に、新たな西門として造られた塔。現在の建物は17世紀半ばに再建されたもので、1897年まで牢獄として使われていたことからこの名で呼ばれている。内部は現在スイス連邦の政治に関する約50種の資料が閲覧できる展示室となっており、展示会なども頻繁に開催されている。
牢獄塔の魅力・地図・行き方【JTB】 から引用
17世紀半ばに再建された。
ベルン(Bern)の人口は14万人だが、その割に大きな街だ。
トゥーン(Thun)が人口4万3千人なので3倍ほどだが、規模感は10倍くらいに思える。
時計塔
時計塔ツィットグロッゲ(Zytglogge)まで歩いてきた。
1218年から1220年にかけて、町を囲む外壁の西門として建てられた。
現在の外観は1405年の火事で再建されたものだ。
1610年に踊る熊が仕掛けに追加され、ベルンの町のシンボルとなった。
現役の仕掛け時計としては世界最大級の規模を誇る。
スイスで最も古い時計塔のひとつだ。
世界遺産に指定されている。
日本人観光客の団体のガイドが説明していたが(笑)この時計台は長針が時間を、短針が分を表示している。
石の重さによって5つのメイン歯車が28時間動き続ける仕組みで、約450キロの石は毎日ひきあげられている。
団体の説明を一緒に聞く(苦笑)
無料ガイド。
アインシュタイン・ハウス
さらにクラム通り(Kramgasse)を歩いて行く。
この先にアインシュタイン・ハウスがある。
アインシュタインが特許庁に勤めながら自らの研究を進めていたベルン時代。特殊相対性理論をはじめ、3つの大発見を立て続けに発表した”奇跡の年”といわれる1905年までの3年間を過ごしたアパートの部屋がそのまま記念館として公開されています。
スイス国旗。
ベルン州旗。
旧ベルンの旗。
スイスにはいたるところに泉がある。
ツェーリンガーブルネン(Zähringerbrunnen)と呼ばれる熊の彫像で、1535年に建造された。
ベルンの街を作ったツェーリンガーを表している。
11の泉が旧市街の主な通りに点在している。
アインシュタイン・ハウス(Einsteinhaus Bern)まで歩いてきた。
2005年から記念館として一般に公開している。
この部屋に1903年から1905年の約3年間、ベルンの特許庁に勤務していたアインシュタインが妻とともに暮らしていた。
ベーレングラーベン
この先で、坂道を下っていく。
ベルン(Bern)の旧市街地は、湾曲するアーレ川に囲まれた丘の上に建設された。
アーレ川(Aare)まで下りていく。
アイスクリームを売っているが、高すぎて買えない(汗;)
ドイツだったら好き放題食べられるのにね。
ドイツでは1ユーロだったからね。
ニデグ橋(Nydeggbrücke)まで歩いてきた。
向こう側にニデグ教会(Nydeggkirche)がある。
ニデグ橋からは、家屋の屋根が随分下に見える。
アーレ川(Aare)をたくさんの人が流れていく(笑)
ニデグ橋を渡ったところがベーレングラーベン(Bärengraben)という熊公園になっている。
熊は一頭も見当たらない(汗;)
ここでクロワッサンでランチ。
「ベルン」の語源は伝承によれば熊であるとされている。
1513年から熊が飼育されているそうだ。
ここからの眺望は素晴らしい。
ベルン(Bern)が丘の上の街だと言うことが、よく分かる。
アーレ川
アーレ川(Aare)に下りるケーブルカーがあるが、階段で下りる。
アーレ川(Aare)の流れは速い。
流れていく人は所持品を防水バッグに入れて、それを浮き袋として使っている。
泳いで通勤している人もいるそうだ。
ところがスイスでは、爽やかな川を使った通勤によって、暑さとラッシュアワーの混雑を克服した人たちがいる。
スイスの首都ベルンでは、夏になるとアーレ川を泳いで下る住民や観光客の姿がしばしば見られる。所持品は防水バッグに入れておくので濡れることはない。
アーレ川を泳ぐ人の大半はレジャー目的だ。ただ、中には効率的な移動手段として泳いでいる人もいる。
ここから川沿いに歩いて行く。
旧市街地はビル8階分くらいの段差がある。
1983年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
マット堰(Matteschwelle)といい1218年以前に建設された。
1891年から水力発電でも利用されてきた。
Die Mattenschwelle wird bereits vor 1218 erwähnt.[1] Im Jahr 1360 erwirbt die Stadt Bern für 1300 Florentiner die Schwelle und die dazugehörigen Mühlen von Johann II. von Bubenberg.[2][3] Vermutlich bis ins 17. Jahrhundert bestand die Schwelle aus einer Reihe im Flussboden verankerter Holzkästen in Blockbauweise, die mit Steinen gefüllt waren.[4] In den Jahren 1640 und 1641 wurde eine Mauer gebaut,[3] welche höhere Stauquoten ermöglichte.[4] Die Aufsicht war einem Schwellenmeister übertragen, der im Schwellenmätteli im Haus Dalmaziquai 11, dem heutigen Restaurant Schwellenmätteli wohnte.[3] Im Jahre 1890 bestand das Wehr aus 54 Stauschleusen und neun Tiefschleusen.[5] In den Jahren 1983 bis 1991 wurde die Mattenschwelle saniert.[1]
流れてきている人がいたら面白いね。
凄い迫力だ。
バンジージャンプしたら面白そう。
キルヒェンフェルト橋(Kirchenfeldbrücke)という。
その先のダルマジ橋(Dalmazibrücke)を渡る。
連邦議事堂
ケーブルカーの駅まで歩いてきた。
マルツィリバーン(Drahtseilbahn)といい、105mと短いケーブルカーだ。
1885年に開通した。
短いが標高差31mを結んでくれるのはありがたい。
超満員で、市民の交通手段として重宝されているようだ。
ベビーカーで坂道を上がるのは大変だ。
料金は、上の駅で支払う。
宿泊するユースホステルでもらったベルンチケットで乗車できた。
世界遺産に登録されているスイスの首都ベルン。中世の街並が残る旧市街の名所や郊外のミュージアムなどは、市電や市バスで結ばれている。そんなベルン観光に欠かせない市内交通のネットワークが、無料で乗り放題となる「ベルン・チケット」が誕生。このチケットは2014年6月1日より、ベルン市内に滞在する全ての宿泊客に無料で進呈されている。
ブンデスハウス(Bundeshaus 連邦議事堂)にやってきた。
眺望スポットになっている。
ブンデスハウスは工事中。
スイス連邦議会議事堂だ。
首都ベルンにある連邦議事堂(国会議事堂)。2つの議事堂と中央ドームから成る重厚な建築が印象的。ドームのまわりにはスイスの26州の紋章が並んでいます。政治の中枢でありながらも、その美しい建築を訪ねる内部ガイドツアーやさまざまなイベントが開催されるなど、観光客にも人気のスポットです。
1852年に建設が始まり、1902年に完成した。
ニデグ橋(Nydeggbrücke)が見える。
巨大なチェス盤があった。
重そうな演技をするおばあ(笑)
西棟、東棟、中央棟の3つの建物から成る。
ベルン大聖堂
ベルン大聖堂(Berner Münster)が見えてきた。
スイス最大規模を誇る後期ゴシックの傑作とされる。
1421年に建設が開始されたベルン大聖堂は、アーレ川のほとり、小さな礼拝堂があった場所に建てられました。度重なる工事の中断や宗教改革による破壊などを経て、ようやく完成したのは1893年のことでした。着工から、470年以上の歳月をかけて完成した聖堂は、後期ゴシック様式の壮麗な大聖堂となりました。
尖塔は高さ100mで、スイスで一番の高さを誇る。
ベルン大聖堂(Berner Münster)は工事中。
世界遺産に指定されている。
1421年に着工し、473年後の1893年に完成した。
正面入り口には、彫刻家エアハルト・キュングによって作られた234体の像が表現する「最後の審判」がある。
尖塔まで上がることにした。
ひたすららせん階段を上がる。
入場料は2人で10スイスフラン。
ちょっと後悔した(汗;)
目が回る。
ヘロヘロになりながらも(苦笑)上がりきった。
鐘があった。
鳴りだしたらたまったもんじゃないね。
おじいはもう10回ほど死んでおります。
また上り(汗;)
また鐘があった。
ついに100mの尖塔を登りきった!
とても景色がいい。
まだまだ上りは続く(汗;)
今度こそ(苦笑)到着です。
尖塔を見上げると、こんな感じ。
眺めは最高だ。
向こうがベルン駅の方だ。
アーレ川(Aare)が蛇行しているのが分かるね。
下ることにした。
目が回りそう。
ドアが開かず焦るおばあ。
さすが100mの尖塔、大変だった(汗;)
ユースホステル
時計塔ツィットグロッゲ(Zytglogge)に戻ってきた。
スーパーで買い物を済ませ、マルツィリバーン(Drahtseilbahn)を今度は下る。
この日宿泊するユースホステルに向かった。
最高点の標高: 547 m
最低点の標高: 498 m
累積標高(上り): 209 m
累積標高(下り): -238 m
総所要時間: 03:15:55