水無神社とは
水無神社(みなしじんじゃ)は、岐阜県高山市一之宮町(ぎふけんたかやましいちのみやまち)にある神社だ。
飛騨国一宮で、祭神は水無大神(みなしのおおかみ)
飛驒一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)では、主祭神の御歳大神(御年大神、みとしのおおかみ)と十四柱の相殿神を、「水無大神(みなしのおおかみ)」として奉祀しています。水無神(みなしのかみ)の名は平安時代中期に編纂された格式「延喜式(えんぎしき)」に記載され、飛騨国の一宮と称されて飛騨国中の宗祀として現在に至るまで篤い信仰を受けています。社名の水無は諸説あり「水主(川の水源をつかさどる神)」の意味であり、『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあります。 また、社前を流れる宮川の川床があがり、流れが伏流して水無川となることから、水無(みなし)川、水無瀬(みなせ)川原、鬼川原(覆ヶ川原)などの地名となりました。
水無神社について | 飛騨一宮水無神社 から引用
創建時期は不明だが、867年に従五位上の神位を授けられた記事があるので、かなり古い神社だ。
創立鎮座の年代は神代にありと伝わりますが、古伝旧記が散逸して詳しい事は定かではありません。
歴史上にあらわれるのは平安初期、貞観9年(867年)に従五位上の神位を授けられた記事にはじまります。
元慶5年(881年)には従四位上に昇叙され神位も累進し、中世の鎌倉時代以降には神仏習合が進み、神仏一体の両部神道として社僧を置き本地堂一宇を建てて釈迦像を安置し、水無(みなし)大菩薩を称するようになりました。
水無神社について | 飛騨一宮水無神社 から引用
駐車場
この日は2020年10月13日、南宮大社に参拝した。
そこから車で、水無神社にやってきた。
最高点の標高: 1081 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 1824 m
累積標高(下り): -1232 m
総所要時間: 02:28:32
神社の前に無料の駐車場が用意されている。
境内
水無神社は、飛騨国一宮だ。
狛犬がカッコイイ。
絵馬殿。
もとは拝殿で、1778年に両部神道から唯一神道に改められた際に多くの仏教建築が破壊されたが、拝殿は残された。
現在は絵馬殿として移築されている。
1607年の建立という古い建物だ。
棟札には慶長12年(1607年)高山城主の金森長近により造営されたとあります。安永7年(1778年)の百姓一揆「大原騒動」の際に、神主の山下和泉、森伊勢の両名が農民に加担したとして処刑され神主が不在となり、信州より神主の梶原伊豆守家熊が招かれました。
梶原伊豆守家熊は従来の両部神道を改め唯一神道とし、仏像・仏具と社殿を破却、移転、改築を進めましたが、拝殿は取り壊しをまぬがれました。
やがて明治時代を迎えて、高山県知事の宮原積は飛騨国中より醵金(きょきん)を募り社殿の造営をおこないましたが、従来の入母屋造りに代え神明造りに統一した際に不釣合いとなったので取り壊しが行われました。
氏子達はこれを惜しみ建材を保管して、明治12年(1878年)に拝殿再興を願い出て浄財を募り、元の位置に復元しました。
その後、昭和29年(1954年)に境内拡張のため、かつての社家跡(山本家屋敷)に移築され現在に至っています。
絵馬殿 | 飛騨一宮水無神社 から引用
顔出し看板があったら、やらざるを得ない(笑)
参拝
拝殿。
内部は違う空気が流れている。
一宮稲荷。
稲荷社 宇迦之御魂神
飛州三沢記」に「一宮水明神往古より七宮なり」とあり、その一宮に稲荷社が見えている。
その後御本社へ合祀されてあったが、昭和24年4月2日境内稲荷坂に新たに社殿を造営して遷宮した。
一宮氏子で稲荷講を結成奉祀、更に平成6年11月5日に新社殿を改築造営した。
境内社 | 飛騨一宮水無神社 から引用
左甚五郎の作と伝わる神馬。
稲喰神馬(黒駒) 作者は不詳、古来より名匠「左甚五郎」の作と言い伝えられています。
昔々に毎夜厩舎を出て農作物を荒らし、収穫の頃の稲穂を食ったとして村民が黒駒の両目を抜き取ったところ、以来耕作地を荒らすことが止んだと伝えられます。
此の神馬は極めて素朴な作りだが、解体は至難の業と言われる。
祈晴の神馬(白駒)元は黒駒で作者は飛騨の工匠の武田万匠とされます。明治15年に大池宮司が体は白く尾と髪が黒い川原毛と呼ぶ彩色に塗り換えました。その時に腹に武田の銘が入っていたといわれます。
古来祈晴れの神馬として連日の降雨、毎年例祭前の祈晴祭には神前に黒駒と共に引き揃えて祈晴祭を執行する古例があります。
明治36年に行われた大祭では、飛騨一円の博労衆が醵金(きょきん)して、再び黒馬に塗りかえ、その後に大正天皇の御大典の記念として現在の白月毛に化粧され、台輪も金具付きの立派なものになったといわれます。これらの神馬は一宮の神馬として牛馬安全の信仰が極めて篤く、神札絵馬等にして授与しています。
神馬伝説 | 飛騨一宮水無神社 から引用
ねじの木。
代官に大檜を差し出すよう命じられた際に、気転のきく者が「木を切ろうとしたら神意で一夜のうちにねじれてしまいました」と申し出て沙汰止みとなったという。
代官の大原彦四郎はその工事にあたり、宮村へ一宮の大檜を橋材として差し出すよう命じましたが、大原騒動で多くの犠牲者を出した村人達は素直に差し出すことを嫌がりました。
氏子の中に気転のきく者が拗の木を示し、「木を切ろうとしたところ神意で一夜のうちにねじれてしまいました」と複名したところ、神社の他の檜も切ることが沙汰止みとなりました。
拗の木 | 飛騨一宮水無神社 から引用
参拝を終え、宿泊地に向かった。
感想
さすが飛騨国一宮という感じの、ご神木が美しい神社だ。
以前は仏教と習合されていて仏教様式の拝殿が残っているのも、貴重だ。
地元の方々の信仰の篤さを感じる。
この空気感は、ぜひ体験してもらいたい。
最高点の標高: 640 m
最低点の標高: 628 m
累積標高(上り): 13 m
累積標高(下り): -13 m
総所要時間: 00:16:51