中山道の追分宿を散策!江戸時代の面影が残る宿場町を訪ねて【旅行VLOG、レビュー】ささくらの二八蕎麦が絶品!追分宿の古い町並みを巡る旅!北国街道との分岐点だったため「追分」と呼ばれた追分節発祥の地

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追分宿とは

追分宿(おいわけしゅく)は長野県北佐久郡軽井沢町(ながのけんきたさくぐんかるいざわまち)にある中山道20番目の宿場だ。

「追分宿」は、中山道六十九次のうち、江戸から数えて二十番目の宿場です。この宿は、古代に整備された官道時代から交通の要衝で、浅間根腰の三宿(軽井沢、沓掛、追分)」のひとつとして、元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒もあり、とても栄えていたと伝えられています。
北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来します。

宿場町の雰囲気を今も感じられ、軽井沢散策にうってつけの街道です。
文学者たちに好まれた地でもあり、堀辰雄文学記念館や追分宿郷土館などの資料館もあるので、散策の途中で訪れてみてはいかがでしょうか。

軽井沢の名所・史跡 – 追分宿 | 軽井沢ナビ から引用

中山道の追分宿を散策!江戸時代の面影が残る宿場町を訪ねて【旅行VLOG、レビュー】ささくらの二八蕎麦が絶品!追分宿の古い町並みを巡る旅!北国街道との分岐点だったため「追分」と呼ばれた追分節発祥の地

駐車場

2025年7月9日、この日は長野県北佐久郡軽井沢町(ながのけんきたさくぐんかるいざわまち)にある碓氷峠(うすいとうげ)を歩いた。

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そこから車で国道18号線を走る。

追分宿(おいわけしゅく)にやってきた。

追分宿 町営無料駐車場に到着。

追分宿 町営無料駐車場
〒389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分873

50台ほど停められそうだ。

追分宿郷土館

まず案内看板でルートを確認。

向かいに追分宿郷土館があるのでまず向かう。

そのあと堀辰雄文学記念館などを回ることにした。

中山道と北国街道(北陸道)との分岐点。

浅間根腰の三宿(軽井沢、沓掛、追分)の中ではもっとも栄えた。

追分宿郷土館にやってきた。

追分宿郷土館は、江戸時代宿場町として栄えた追分宿及び、軽井沢町西地区の特色ある地域文化の維持・保存のため、昭和60年7月に開館しました。
追分宿東口、浅間神社・追分公園に隣接した緑豊かな環境に建ちます。建物の外観は旅籠を模した出桁作り、館内は木造風の作りになっており、江戸時代の落ち着いた風情を醸し出しています。

追分宿郷土館 | 軽井沢観光協会 から引用

休館です。

堀辰雄文学記念館

車で堀辰雄文学記念館にやってきた。

明治37年東京に生まれ、昭和初期に活躍した作家 堀 辰雄は、大正12年19歳の時に軽井沢を訪れて以来、毎年のようにこの地を訪れるようになり、軽井沢を舞台とした数々の作品を残しました。昭和19年からは追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年に49歳で亡くなりました。
 この記念館は、軽井沢をこよなく愛した作家、堀 辰雄に関する資料を展示・保管する文学館です。館内には、原稿・書簡・初版本・遺愛の品々が展示され、堀 辰雄の生涯と文学の背景を知ることができる展示室、辰雄が晩年を過ごした住居、愛蔵書が納められた書庫があります。閲覧室では堀 辰雄の関係書籍を閲覧することができ、この記念館を訪れることにより、堀 辰雄の文学に触れることができます。
 また、記念館の周辺は堀 辰雄ゆかりのエリアで、散策を楽しむこともできます。

堀辰雄文学記念館 開館期間・入館料等のご案内 – 軽井沢町公式ホームページ(堀辰雄文学記念館) から引用

やはりここも休館日でした。

なかなか雰囲気あっていいとこなんですけどね。

これが本陣門ですか。

追分宿本陣門(裏門)を移築した。

堀辰雄の旧宅。

昭和26年7月に新築した。

休館日に関係なく堀辰雄旧宅には入れないそうだ。

蕎麦処ささくら

蕎麦処ささくらにやってきた。

蕎麦処ささくら
〒389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分655−3
0267-46-5577

順番待ちになっていた。

メニューはこんな感じ。

ミニ天丼と盛り蕎麦のセット1,180円を頼んだ。

エビ天しっかり2尾乗っております。

二八蕎麦だそうです。

蕎麦すごく香っていますね。

先の方まで身があってプリプリです。

タレもそんなに甘すぎずおじい好みでした。

天ぷらが多くてご飯が取れない。

券売機でチケットを買ってから着席するシステムだが現金のみだった。

あの山しかないですね。

自家製粉だそうだ。

本陣

ささくらの向かいに油屋がある。

旧脇本陣。

現在はNPO法人がイベントスペースとして活用している。

ここもお休み(汗;)

建物は新しそうだ。

現在の建物は昭和13年に川端康成らが寄付を集めて再建したもの。

これは昔からの建物でしょうね。

江戸時代の後期の建物で「現金屋」の屋号で旅籠と両替商を営んでいた。

ボツボツと古い建物が残っている。

追分公民館。

本陣跡が向こうにあるみたい。

旧本陣は現在は個人宅のようだ。

高札場(こうさつば)は町外れ(町の入口)にあることが多いが追分宿は本陣前にあった。

ここが登山口のようだ。

浅間山ではなく石尊山に通じている。

あとお寺がある。

蔦屋は文政2年(1819)に中山道追分宿の旅籠として建てられた。

建物は少ないけどきれいに残して。

泉洞寺

泉洞寺(せんとうじ)まで歩いてきた。

慶長3年(1598年)に上州(現在の群馬県長野原町)常林寺第5世・心庵宗祥禅師によって開創された。

もともと「仙洞寺」という字が江戸時代に火災に遭遇したことから、火災等の災難を除けるようにと祈願して水を持って寺を守る様にと改名した。

曹洞宗の寺だ。

中山道の宿場町として栄えた追分宿。北国街道との分岐点あたり、とくに文化文政の時代(1800年代)には大いに賑わったといわれています。その追分宿の栄枯盛衰とともに泉洞寺も時を刻み檀信徒の篤い信仰のもと現在に至っています。

曹洞宗 浅間山 泉洞寺 から引用

浅間山 香華院 泉洞寺
〒389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町追分1259
0267-45-1354

本尊は聖観世音菩薩。

山号は浅間山、院号は香華院。

駐車場はとても広い。

ビックリですねあの大きな屋根が。

これが山門だったみたい。

眼鏡地蔵だ。

なかなかユニークなお地蔵様です。

二人とも歯医者によくかかっていますからね。

歯痛地蔵。

堀辰雄の「樹下」に出てきたことによって有名になった。

なかなか趣のあるお寺でしたね。

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