須ノ浦くろしお展望公園とは
須ノ浦くろしお展望公園(すのうらくろしおてんぼうこうえん)は、高知県須崎市浦ノ内須ノ浦(こうちけんすさきしうらのうちすのうら)にある公園だ。
高知県の県立自然公園に指定されている横浪半島は、複雑に入り組んだ地形のリアス式海岸。雄大な太平洋と森の緑の自然豊かな眺望が楽しめます。
広い駐車場が整備されており、武市瑞山の銅像があることで知られる。
駐車場
この日は、まず帷子崎に立ち寄った。
その後、車で須ノ浦くろしお展望公園にやってきた。
駐車場は広い。
トイレが設置されている。
武市瑞山の銅像
ここには、武市瑞山(武市半平太)の銅像が設置されている。
武市瑞山は幕末の志士で、土佐勤王党を作ったことで知られる。
武市 瑞山(たけち ずいざん、文政12年9月27日(1829年10月24日) – 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日))は、幕末の志士、土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。幼名は鹿衛。諱は小楯(こたて)。号は瑞山または茗澗。変名は柳川左門。後に柳川左門と変名した際は雅号を吹山とした。 土佐藩郷士・武市正恒(白札格、51石)の長男。母は大井氏の娘。妻は土佐藩郷士・島村源次郎の長女・富子。子女はなし。坂本龍馬とは遠縁にあたる。
優れた剣術家であり、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参政・吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。京都と江戸での国事周旋によって一時は藩論を主導し、京洛における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。1年8か月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。
武市瑞山 – Wikipediaから引用
堂々たる銅像だ。
以前の銅像は顔が大きすぎて不評だったため、作り直された経緯がある。
募金活動をしてその資金で銅像が1979年の12月に建てられました。しかし建てられた銅像の容姿の人気が悪かった為、1985年に再建活動に入り作り直されました。
歌碑。
銅像のそばに、高知県内にある偉人の銅像一覧が掲示されていた。
須ノ浦いこいの広場
須ノ浦いこいの広場という公園も設置されている。
ここから、海を見下ろせる。
道路越しになるのは、少し残念だ。
なにやら石碑がある。
歌碑だ。
高知岳風会という団体が2018年に寄贈したようだ。
公益財団法人日本詩吟学院認可高知岳風会の主催。日本の伝統文化の継承と詩歌吟詠を研鑽して人格を淘汰し、英気を養い精神向上をはかり健康を増進するとともに、相互の趣味・親睦を通じ吟詠の普及啓発を推進することを目的としており、その集大成として60周年の記念大会を実施するとともに、更なる飛躍を目指します。
横浪自然公園の説明看板。
感想
横浪スカイラインを走ると、必ず立ち寄っている。
坂本龍馬と並ぶ幕末の有名人「武市瑞山」の銅像は、必見。
土佐勤王党の活躍と弾圧の歴史を振り返りながら、彼の非業の最期を思い出さずにはいられない。