吉備津神社とは
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津(おかやまけんおかやましきたくきびつ)にある備中国一宮だ。
祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
仁徳天皇が造営したとも伝わる、古い神社だ。
吉備津彦命と異母弟若日子建吉備津彦命は兵を率いて山陽道を進軍し、まず播磨国に達してここを「吉備の道口」と定められ加古川の畔で神祭を行っております。 その場所と思われるところに日岡神社が現存し天伊佐々比古命がお祀りされています。 こうして命は吉備国に入り、人々を苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を苦戦の末退治することができ、この地方に平和と秩序をもたらしたと云われております。
当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、文献もなく確かなことはわかりませんが、ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。
また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云われる稲速別命(イナハヤワケ)・御友別命・鴨別命(カモノワケ)が始めて社殿を造りお祀りしたとも云われます。さらに一説に仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、吉備津彦の功績を聞き称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わっております。
縁起|吉備津神社とは|吉備津神社 から引用
備前国一宮である吉備津彦神社と対をなす。
沿道
2021年3月9日、この日は吉備の中山を歩いてきた。
吉備津神社に到着。
しかしここは吉備津神社の摂社で、本殿ではなかった。
せっかくなので表参道から参拝することにした。
表参道まで歩いて行く。
椿がきれいに咲いている。
境内
境内に入る。
丸い郵便ポストがあった。
回廊が続いている。
総延長398mもあり、天正年間(1573年-1591年)の造営とされる。
御釜殿
御釜殿(おかまでん)に入る。
ここに桃太郎伝説の鬼である温羅(うら)の首が埋まっていると伝わる。
ここでは鳴釜神事(なるかましんじ)が執りおこなわれている。
釜鳴という神事は王朝以来宮中をはじめ諸社にもあったことが文献にもみられています。釜を焼き湯を沸かすにあたって時として音が鳴るという現象が起こる と、そこに神秘や怪異を覚え、それを不吉な前兆とみなし祈祷や卜占を行ったらしい。そして陰陽道的解釈が加えられていったと考えられます。
この神事の起源は御祭神の温羅退治のお話に由来します。命は捕らえた温羅の首をはねて曝しましたが、不思議なことに温羅は大声をあげ唸り響いて止むこと がありませんでした。そこで困った命は家来に命じて犬に喰わせて髑髏にしても唸り声は止まず、ついには当社のお釜殿の釜の下に埋めてしまいましたが、それ でも唸り声は止むことなく近郊の村々に鳴り響きました。命は困り果てていた時、夢枕に温羅の霊が現れて『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに 鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』
とお告げになりました。命はそのお告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れました。これが鳴釜神事の起源であり現在も随時ご奉仕しております。
鳴釜神事|吉備津神社とは|吉備津神社 から引用
残念ながら撮影不可だったが、なんだか気が満ちているような特別な空間だった。
回廊
長い回廊を歩いて行く。
南随神門(みなみずいじんもん)を通過。
1357年に再建された、吉備津神社で最古の建物。
本殿の脇を歩いて進む。
ようやく授与場に到着。
参拝
拝殿。
本殿、拝殿は1425年に建てられた、国宝だ。
石段の下に、北随神門(きたずいじんもん)が見える。
本殿は比翼入母屋造。
摂社
南随神門に戻る。
回廊の横に弓道場があり、練習していた。
八幡宮、大神宮、春日宮。
本宮社まで戻ってきた。
再び回廊を戻る。
宇賀神社
境内を出て、向かい側の宇賀神社(うがじんじゃ)へ。
なぜか池に浮き輪が浮いていた。
駐車場
参拝を終え、吉備津神社の前を歩いて行く。
駐車場はとても広い。
表参道
表参道まで歩いてきた。
北随神門に続いている。
自動販売機で缶コーヒーを買って休憩したが、座るところがなくて(ベンチは飲食禁止だった)残念。
帰路
吉備津彦神社に向けて戻っていく。
鼻ぐり塚を通過。
牛を供養する。
大正14年(1925年)に創設された塚には、全国各地から贈られてきた“鼻ぐり”が奉納されている。鼻ぐりとは牛の鼻輪。病死したり屠殺された牛が残すことの出来る唯一の形見と言うべき鼻ぐりを供養することで、人のために奉仕し尽くして一生を終える畜類への感謝の念を忘れないというのが、創設の趣旨である。そして集められた鼻ぐりの数は700万個にも及ぶという。 鼻ぐり塚は、元々あった円墳を利用して作られている。横穴式の石室内には、真鍮製の鼻輪を溶かして造られた、阿弥陀の宝号を刻んだプレートが収まっている。そして墳丘には大量の鼻ぐりが積み上げられており、その正面部分には馬頭観音が置かれている。さらには牛と豚の像もあり、その様子は見る者を圧倒する。
鼻ぐり塚 | 日本伝承大鑑 から引用
自転車道を歩いて行く。
吉備津彦神社に戻り、帰宅した。
最高点の標高: 157 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 259 m
累積標高(下り): -263 m
総所要時間: 02:14:25