神倉神社とは
神倉神社(かみくらじんじゃ)は和歌山県新宮市神倉(わかやまけんしんぐうしかみくら)にある神社だ。
熊野速玉大社の摂社で、世界遺産になっている。
祭神は、高倉下命(たかくらじのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)
権現山の中腹に鎮座し、熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社。天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあり、熊野古道の一部である五百数十段の急峻な石段を登ったところにご神体のゴトビキ岩があります。そこから眺める市街地と熊野灘の遥々とした眺めは、新宮市随一のビュースポット。また毎年2月6日に行われる奇祭「御燈祭り」の舞台でもあります。
神倉神社|新宮市観光協会 から引用
駐車場
2022年1月7日、この日は熊野速玉大社に参拝した。
そこから車で、神倉神社(かみくらじんじゃ)にやってきた。
最高点の標高: 9 m
最低点の標高: 7 m
累積標高(上り): 5 m
累積標高(下り): -3 m
総所要時間: 00:05:15
駐車場は無料で、8台分ある。
ここは第一駐車場なので、もっとあるのかもしれない。
駐車場に隣接して出雲大社があったので、まずこちらに参拝する。
さらに三柱稲荷神社にも参拝した。
縁結びの大黒様が鎮座する。
遙拝所
神橋(しんきょう)のかたわらの看板に高齢者への注意書き(苦笑)
神倉神社は世界遺産だ。
由緒書き。
天ノ磐盾(あまのいわたて)という崖の上にあるゴトビキ岩に、熊野速玉大社の祭神である熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が降り立ったとされる。
熊野三山(くまのさんざん)を構成する神社だ。
ゴトビキ岩に続く石段は、なかなか手強い。
そのため石段の下で参拝できるよう、遙拝所が設置されている。
石段
1193年に源頼朝が寄進したと伝えられる石段は、538段あるという。
権現山の麓から538段の急峻な石段を登り社殿を目指します。
神倉神社|新宮市観光協会 から引用
あまりの急勾配に腰が引けているおばあ。
怖いじゃないの。
いちおう女坂という迂回路も用意されている。
ゴトビキ岩
鳥居が見えてきた。
手水鉢の説明看板。
新宮城主第2代目の水野重良(みずのしげよし)が1631年に寄進したものだという。
ゴトビキ岩がご神体とされ、128年頃の創建といわれている。
神倉山は『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)の山であるという。
神武天皇は天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。
神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に最初に降臨した聖地とされる。
このため神倉神社は熊野三山「元宮」と呼ばれる。
一方で熊野速玉大社は、「新宮社」と呼ばれる。
ここから新宮の街を一望できる。
社殿下の広場は新宮市と海を見晴らすビュースポット。
神倉神社|新宮市観光協会 から引用
おばあが参拝に向かう。
存在感がハンパない。
なのに神をも恐れぬ所業をやっています。
神の怒りに触れるよ。
おじいも参拝する。
ゴトビキ岩に続く道は、立ち入り禁止。
下山
中間点まで下りてきた。
下山は女坂の方を下りていくことにした。
登ってどうすんじゃ。
普通に山道ですね。
それでもスニーカーだとちょっと危ないくらいの斜度がある。
鳥居まで下りてきた。
ここは『古事記』『日本書紀』に出てくる、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)であるという。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
車で先に進んだ。
最高点の標高: 85 m
最低点の標高: 9 m
累積標高(上り): 87 m
累積標高(下り): -87 m
総所要時間: 00:41:20