月田上神社とは
月田上神社(つきだかずじんじゃ)は、高知県吾川郡いの町にある神社だ。
祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
七彩舘でランチ
まずは、いつもの七彩舘でランチ。
この日は11月3日、メニューは旬のサンマの塩焼きだ。
波川駅
食後、仁淀川橋を渡って月田上神社を目指す。
15分ほど歩くと、JR波川駅(はかわえき)だ。
改札のない無人駅だが、春になると菜の花と桜がきれいな場所だ。
この駅前に続く道の先に、月田上神社が鎮座している。
この場所は、現在高速道路の延伸工事中だ。
参道
工事現場を抜け、神社の参道へ。
以前は石段だった道が高速道路工事の関係で付け替えられ、風情の全くないコンクリートの道になってしまった。
この階段を上りきると、月田上神社だ。
参拝
社殿も工事の際に新築されている。
手前に置かれている扁額は、工事前にかけられていた物だ。
参拝する。
以前は、かなり荒れた社殿だった。
見違えるほどきれいになっていた。
また周辺も樹木がうっそうと茂り暗い空間となっていたが、伐採されて明るい神社に変身していた。
参拝後、この後ろ側にある祠にも詣った。
蟻宮神社だ。
玄蕃城址への道
この神社の裏山に、玄蕃城址(げんばじょうし)へ続く道の案内板が立てられている。
玄蕃城は、長宗我部元親の妹を妻にむかえた波川清宗(はかわきよむね)の城だった。
波川玄蕃城跡(葛木城) | 町指定文化財 | いの町役場
ここは昔、天正年間(1570年頃)に伊野地方で勢力のあった武将、波川玄蕃頭(げんばのかみ)蘇我清宗の城跡で周り約5.5m、幅約1.5m、高さ2.0mの土塁の跡がほぼ完全な形で残っています。
波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にして元親とは義兄弟の間柄です。しかし元親に謀叛を企てたとして、天正8(1580)年、47歳でもって阿州海部(現、徳島県海部町)で切腹をさせられ相果てました。波川の城は清宗の死後一族が滅ぼされて消滅したと推定せられています。
波川玄蕃城は一名葛木城ともいわれ、いわゆる山城です。海抜171.0mの山上で周りを土塁で囲み、西北隅及び南東に出入口の跡があり、本丸の下段に二の郭はあります。
城主の蘇我清宗は謀反を企てたせいで自害させられたのだが、その妻、つまり長宗我部元親の妹は出家し、「養甫尼(ようほに)」となった。
甥の安芸三郎左衛門(あきさぶろうざえもん)とともに伊予の新之丞から紙の製法を習得し、土佐七色紙をつくったことで知られる。
一度行ってみたい気もするが、とんでもない藪漕ぎを強いられるらしい。
玄蕃城址に行くなら、この月田上神社からではなく素直に車道を行った方が良さそうだ。
月田上神社を参拝後、近くの農業大学校で学園祭が開催されているというので寄ってみることにした。
感想
工事前は非常に趣のある神社で、石畳を踏みながら参拝するのが好きだった。
工事できれいになったし、参道もスロープ付きの階段となり便利にはなった。
参拝するのも安全だ。
しかし、失った物も大きかったように思えてならない。
高速道路の重要性は理解できるが、残念だ。