豊川稲荷とは
豊川稲荷(とよかわいなり)は、正式には圓福山妙嚴寺(えんぷくざんみょうごんじ)という愛知県豊川市豊川町(あいちけんとよかわしとよかわちょう)にある曹洞宗の寺だ。
本尊は千手観音(せんじゅかんのん)
吒枳尼真天(だきにしんてん)を祀り、日本三大稲荷のひとつとして日本中から参拝者が絶えない。
豊川稲荷は正式名を「妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は、「狐を祀った神社」を想像される方が多数であると思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。豐川吒枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから、いつしか「豊川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
駐車場
この日は醒ヶ井の名水巡りをした。
そこから車で、豊川稲荷にやってきた。
最高点の標高: 184 m
最低点の標高: 0 m
累積標高(上り): 584 m
累積標高(下り): -680 m
総所要時間: 01:41:45
商店街にある有料駐車場に、車を停める。
ここから豊川稲荷に向けて、歩いて行く。
豊川稲荷の敷地が見えてきた。
商店街を進む。
境内
豊川稲荷の総門に到着。
この総門は当山の開創から214年後の明暦2年(1656年)に一度改装されました。 現在の門は明治17年(1884年)4月、当山29世黙童禅師によって上棟改築されたものです。 門扉及び両袖の扉は一千有余年の樹齢を重ねた高さ4.5メートル、幅1.8メートル、厚さ15センチメートルの欅の一枚板で、欅独特の鱗のような木目(如輪目)は類い稀な木材として専門家に知られています。 屋根は銅板鱗葺きで、また諸処に使用されている唐金手彫の金具は、優れた技法を示しています。 頭上に祀られている十六羅漢は、名匠で諏訪ノ和四郎その他名工の合作といわれています。
総門 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
境内は、とても広い。
鎮守堂。
鐘楼堂。
豊川稲荷大本殿の落慶(完成)を記念して、昭和12年、浜松市太々講の寄進によるものです。 総欅材造りで、近代の建造物としては優秀な結構として賞讃されています。 天井より吊るされる梵鐘は、戦時中に供出されて久しく妙音を聞くことが絶えていたが、終戦後戦歿者の慰霊のためと、世界平和と人類の福祉を祈願するために鋳造されたものであります。 朝夕に打ち鳴らす妙音は、4キロ以上の遠方まで響き渡らせています。 またその妙音は、しばしば「除夜の鐘」の音として、NHKを通じて全国に放送されています。
鐘楼堂 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
鳥居をくぐる。
広い参道だ。
参拝
本殿。
寒巌義尹がご感得、ご自作の端麗妙相をそなえられる通称「豊川稲荷」、豐川吒枳尼眞天がお祀りされています、全国の御信者の信仰の中心である御祈祷の根本道場であります。
当山二十九世、三十世、三十一世の三代にわたる大本殿新築の大願は明治、大正、昭和の三世代に跨って、昭和5年春に竣工し落慶大開帳が行われました。
建物は総欅造り、妻入二重屋根三方向拝の形をとり間口十間七分五厘(19.35メートル)、高さ百二尺(30.6メートル)、奥行二十一間四分三厘(38.59メートル)、丸柱直径八寸(24センチメートル)のもの、直径三尺(90センチメートル)のもの計七十二本が使われています。
内部は内陣、般若殿、施主殿に区画され、内陣には「豐川吒枳尼眞天」が奉祀されています。
また、明治時代に至り、有栖川宮家より「豐川閣」の大額が下賜され大本殿内部に掲揚されています。当山を「豐川閣」と呼ぶのはこの因縁によるものです。
豊川稲荷大本殿 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
参拝する。
大提灯。
内部は新型コロナウイルスのせいで見られない。
本殿から歩いて行く。
この先が、奥の院だ。
千本幟
千本幟(せんぼんのぼり)が並ぶ。
本殿から奥の院参道、裏門にかけてぐるりとはためく幟は全国より参拝にみえた御信者方が奉納されたもので、その数の多さから通称千本幟と呼ばれています。 御参拝の際は、ぜひ御奉納をお願いいたします。
千本幟 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
圧巻の光景。
奥の院への道には、仏閣が建ち並ぶ。
霊狐塚
この先が、霊狐塚(れいこづか)だ。
もとは納めの狐像を祀る場所でしたが、祈願成就の御礼として御信者の奉納された大小、多くのお狐さんがお祀りされており、その数はおよそ一千体にものぼります。
御奉納をご希望される方は、霊狐塚近くの千本幟受付にて、お尋ねください。
霊狐塚 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
狐が出迎える、まさに豊川稲荷の核心部だ。
パワースポットとして名高い。
霊狐塚に到着。
狐の石像が並ぶ。
お金持ちになると信じられている。
この岩の隙間には、ここを訪れた人が入れた硬貨があり、それを木の枝などでうまく取り出せるとお金持ちになると言われている。 そのお金はお守りにして、一年後にお金が儲かったら、お礼としてその何倍かの硬貨をこの岩の隙間に隠しに来ればよいらしい。という無限ループ。
参拝を終え、道を戻る。
奥の院
奥の院までやってきた。
文化11年(1814年)の建築で、昭和5年の大本殿の新築に伴い、旧本殿の拝殿を奥の院拝殿として移築したものです。
この建物は春・秋の祭典の行事が行われる霊殿で、信者の諸人が至心を凝らして参拝し、読経礼拝されます。
拝殿の諸処に見られる種々の彫刻は、名匠諏訪ノ和四郎の一代の傑作と言われています。
奥の院 | 宗教法人豊川閣妙厳寺 から引用
参拝する。
参拝を終え、帰路につく。
参道まで戻ってきた。
総門まで戻ってきた。
商店街
帰りは駐車場まで商店街を抜けていくことにした。
本来なら多くの参拝者で賑わっているはずなのだが、新型コロナウイルスのせいで閑散としている。
車に戻り、宿泊地に向かった。
感想
参拝するのは5年ぶりくらいだろうか。
前回は多くの参拝者が溢れていたが、今回はガラガラ。
外出自粛要請は解除になっても、三密を避ける気持ちが働くのだろう。
一方で人が少なくゆったりと参拝できた。
早く往年の賑わいが戻ってもらいたいものだ。
最高点の標高: 39 m
最低点の標高: 14 m
累積標高(上り): 67 m
累積標高(下り): -71 m
総所要時間: 00:33:39