日本一のだるま生産地!高崎の達磨寺を巡る!和尚が住民を救うため張り子だるまの作り方を教えたことに始まるダルマの歴史を尋ねる!【旅行VLOG、レビュー】年間170万個!全国生産の80%を生産する高崎市

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達磨寺とは

達磨寺(だるまじ)は、群馬県高崎市鼻高町(ぐんまけんたかさきしはなだかまち)にある寺だ。

「高崎のだるま市」で有名だ。

高崎市は全国一のだるまの生産地です。
まゆは鶴、ひげは亀、縁起の良い二つの動物をお顔に表現した高崎だるま。「商売繁盛、家内安全、心願成就、目標達成」などの願いを両肩に書く金文字も特徴です。

だるまに向かい合い、願いを込めて向かって右目に墨を書き入れ、1年無事に過ごせたとき、願いがかなった時に、もう一方の目を入れます。

近年では、伝統の赤いだるまのほかに、カラーだるまや様々なデザインのオリジナルだるまも人気があります。また、市内の工房では、自分でだるまに「目」と「髭」を描くだるまの絵付け体験を行うこともできます。

高崎だるま(R)について – 観光サイト – 高崎市公式ホームページ から引用

少林山 達磨寺
〒370-0868 群馬県高崎市鼻高町296
027-322-8800

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駐車場

2024年9月5日、この日は富美(とみ)でランチを済ませた。

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そこから車で、達磨寺(だるまじ)にやってきた。

駐車場はとても広い。

駐車場までの坂道がきついので要注意。

高崎だるまとは

高崎市は日本一のだるまの生産地だ。

達磨寺(だるまじ)は、その起源とされる。

九代目の東嶽禅師が、天明の大飢饉(1783年~1787年)により窮乏した村人を救うため、一筆だるまのお札をもとに張り子だるまの作り方を教えたのがだるま市の始まりとされる。

今では「日本一早いだるま市」が高崎駅前で開催されている。

全国で最も早いだるま市!
縁を起こして福を呼ぶ、高崎だるまが勢ぞろい!
伝統的な高崎だるまの他、干支だるまやカラーだるまなど、大小様々なだるまを販売します。

イベント一覧 | 【公式】高崎だるま市2024 から引用

もともとは毎年正月に心越禅師の描いた一筆達磨の座禅像を配り札としていた。

文化年間に達磨寺の近隣の上豊岡の山県朋五郎が達磨寺九代目住職の東獄和尚に木型を彫ってもらい、和紙を張って作ったのが、高崎だるまの始まりとされている。

山号は少林山。

だるまの眉は鶴、髭は亀になっている。

縁起ダルマとして、全国生産の80%に匹敵する年間170万個が高崎市で生産されている。

当初は曹洞宗であったが、明治になって黄檗宗(おうばくしゅう)になった。

だるまは「不倒翁」という人形が室町時代の日本に伝わり「起き上がりこぼし(起き上がり小法師)」が関西をはじめとしてつくられるようになった。

江戸時代に今日のような「だるま」となった。

達磨大師が長年修行したことから「不撓不屈(ふとうふくつ)」の象徴として作られる。

選挙だるまは、ほとんどが高崎で生産されている。

境内

本堂に続く石段は、結構険しい。

絵馬もだるま。

まず案内看板でルートを確認。

霊符堂が本堂とされる。

北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)と達磨大師が祀られている。

観音堂。

元々は無尽法蔵だったが江戸時代に霊符堂になり、明治に新たな霊符堂ができたため観音堂となった。

茅葺き(かやぶき)で、達磨寺で最古の建物。

正面に榛名山(はるなさん)が見える。

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十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を祀る。

タウトはここに祀られる観音様を「慈悲」の象徴と表現した。

ブルーノ・タウトは建築家で、1934年にこの地に移住し2年ほど過ごした。

ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日 – 1938年12月24日)は、東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家[1]。鉄の記念塔(1913年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。

ブルーノ・タウト – Wikipedia から引用

初めて桂離宮の真価を評価した人物と言われている。

だるま開眼(かいげん)は、僧侶が目に点を書き入れる。

これで魂がこもるので、自分でその点を起点として目を大きく書き入れる。

おばあがお守りを買ってくれた。

鯉が凄く元気。

放生池。

招福の鐘。

達磨寺の由緒書き。

碓氷川(うすいがわ)のほとりに観音堂があった。

川から古木を引き上げた。

1680年頃、それで達磨大師の座禅像を彫った。

1697年、領主の酒井雅楽頭(うたのかみ)が少林山達磨寺を開創した。

元首相の中曽根康弘(なかそね やすひろ)は高崎市の出身。

大講堂。

黄檗鉄眼(おおばくてつげん)版「一切経(いっさいきょう)」六千数百巻が納められている。

石段にビビるおじい。

筆供養塔。

『画家』のおばあは参拝するしかない(笑)

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薬師塚。

洗心亭

洗心亭まで歩いてきた。

ブルーノ・タウトが昭和初期にこの洗心亭に居住していた。

庭には、タウトの「私は日本の文化を愛する」とドイツ語で書かれた記念碑があり、群馬県の史跡になっている。

タウトは3年の日本滞在中、2年間をここで過ごした。

売店に入ってみた。

絵付け体験ができる。

樹木葬のお墓もだるま。

車で先に進んだ。

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