日本三霊橋を渡ってみた!【長野観光】三途の川が流れる満願寺!境内に極楽浄土の世界が広がる【旅行VLOG、レビュー】725年に創建された古刹!坂上田村麻呂、木曽義仲、織田信長などの崇敬を集めた由緒!

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満願寺とは

満願寺(まんがんじ)は、長野県安曇野市にある真言宗豊山派の寺だ。

満願寺は安曇野の西山にある真言宗のお寺です。
お寺の境内が極楽浄土をイメージして造られており、三途の川にかかる橋を渡るところから参道が始まります。

参道を登ったところには、廻遊式のツツジ園が広がっています。安曇野でも一番規模の広いツツジ園で、見頃は5月末から6月初旬。約5000株のツツジが色鮮やかに咲きます。

境内各所には湧水が流れ、マイナスイオンいっぱい!!“満願”という縁起の良い名前でもあることから、パワースポットとしても人気があります。
ただ、入口から三途の川・・・ですので、夜は心霊スポットに様変わり。夜は絶対行かない方が良いと思われます。

満願寺一帯とツツジ公園|安曇野一のツツジの名所、湧水もおいしい|安曇野市穂高 | 長野県の情報【E-CURE】 から引用

満願寺
〒399-8305 長野県安曇野市穂高牧1812
0263-83-2088

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駐車場

2024年10月31日、前日は木曽町にあるくるまや本店で新そばを食べた。

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この日は県道25号線から川窪沢川沿いに走る。

この道は栗尾山つつじ公園に続いている。

満願寺(まんがんじ)に到着。

駐車場は舗装されていないが広い。

微妙橋

湧水がある。

満願寺の水(まんがんじのみず)として知られる。

満願寺の水(まんがんじのみず)

【場所】
安曇野市穂高牧1812番地
【アクセス】
JR大糸線「穂高駅」下車タクシー約20分
【問い合わせ】
満願寺(電話0263-83-2088)

安曇野の湧水を紹介します – 安曇野市公式ホームページ から引用

寺は坂道を上がったところにある。

山号は栗尾山。

真言宗高野山豊山派の寺だ。

弘治2年(1556)に再興された。

屋根付き橋の微妙橋。

長さ10m、幅2.5mの木橋。

「お経橋」とも言われ、明治39年(1906)再建された。

三途の川を渡る橋とされる。

橋板の裏に梵字の経文「陀羅尼」が書かれている。

これが冠木門のようだ。

ここからが境内ということになる。

六体地蔵。

渡るだけで陀羅尼を読んだ事になるとされる。

お経を唱えて渡らないと、極楽浄土へ行けないとされている。

日本三霊橋のひとつとされる。

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これが三途の川。

地蔵堂。

子授け地蔵として古くからの信仰を集めている。

仁王門

ここが賽の河原。

寺に上がっていく。

境内は栗尾山つつじ園になっている。

仁王門。

神亀年間(725年頃)に、観音池から出現した一寸八分の千手観音像を堂宇を建立し安置したのが始まりとされる。

当時は栗尾観音と呼ばれていた。

延暦14年(795年)坂上田村麻呂が八面大王を倒す際に力を貸したため、彼による中興ともいわれる。

養和年間(1181年)、木曽義仲が堂宇を修繕し、山林を寄付した。

1582年(天正10)織田信長が朱印状を出して再建修理し現在地に移転した。

そこに「満願寺」の名前がはじめて登場する。

領主に復帰した小笠原貞慶は、観音堂を建立した。

江戸時代に高野山龍光院末寺となる。

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領主の保護が厚く77石の寺領が安堵され、信濃三十三番観音霊場二十六番札所となり多くの参詣客を集めた。

1814年(文化11) 、火災により庫裡等が焼失し、その直後に十返舎一九が取材に訪れ滞在した。

明治維新に廃仏毀釈によって廃寺となる。

1870年(明治12)に奈良県の良興院を移転するかたちで再興した。

石段は170段あるという。

本堂

鐘楼。

本尊は千手観世音。

栗尾観音。

聖天堂(しょうでんどう )は1895年の造営。

安曇野市有形文化財に指定されている。

はけば塵払えば又も散り積もる 人の心も庭の落ち葉も

信濃三十三番札所の二十六番札所となっている。

「信濃高野」とも称される。

摩尼車(まにぐるま)は回した回数だけお経を唱えたことになる。

境内

庫裡は本棟造りという信州独特の建築。

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十辺舎一九の「続膝栗毛」に当寺を参詣する場面が描かれている。

この先に人が死後に行く冥途 (めいど) にあるという「死出ノ山」があった。

微妙橋の下を流れる川が三途の川で、この世とあの世を隔てる境と伝えられ、
その左右の山を死出ノ山と呼び、後ろは地獄、お経を唱えて渡らないと極楽浄土へ
行けないとされています。

万願寺(長野県安曇野市) | fujisanのブログ から引用

満願寺はこの世とあの世をつなぐ寺。

境内は極楽浄土としたものだろうか。

この下に蓮華池がある。

蓮華は「尊い仏の悟り」を意味する仏教のシンボル的な植物。

ツツジ園。

約2,000平方mに約5,000株が植えられている。

つつじは、旧穂高町が植樹し、約2,000平方メートルに約5,000株が植えられており、安曇野市に合併してからも市が管理しているそうです。
つつじは緩やかな斜面に植えられ、あずまやや下には睡蓮池があります。

栗尾山満願寺つつじ公園 | 信州いざない街道 から引用

ツツジが紅葉していた。

安曇野市が管理している。

花の見頃は例年5月中旬~6月上旬頃。

咲いたら凄そうだ。

蓮華池。

車で先に進んだ。

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