武市半平太とは
武市半平太(たけちはんぺいた)は、幕末の志士だ。
土佐勤王党を作り、尊皇攘夷を唱えたことで知られる。
武市瑞山(たけちずいざん)と号する。
その旧宅と墓が、高知県高知市にあるので行ってみた。
武市瑞山 – 高知市公式ホームページ
武市瑞山は文政12年(1829)9月27日、長岡郡吹井村(現高知市仁井田吹井)に生まれた。通称、半平太。本名は小楯、号は瑞山。
武市半平太旧宅及び墓土佐勤王党の盟主、武市半平太旧宅と墓は、昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定された。
マサラでカレー
この日は、まず善楽寺に参拝した。
参拝後、車でマサラに向かいランチにした。
武市半平太の旧宅
食後、車で武市半平太の旧宅に向かう。
駐車場は5台ほど停められそうだ。
その先が旧宅だ。
坂道を上がると、碑が立っている。
左へ行くと旧宅、右へ行くと墓がある。
まずは左へ。
現在も人が住んでいるので、中を見ることはできない。
国の史跡の看板。
瑞山記念館
先ほどの分かれ道を右に行く。
坂道を上がったところが、瑞山記念館になっている。
まだ新しい。
入り口左にあるのは、初代の銅像に使われていた太刀だ。
武市半平太の銅像は、初代は頭が大きすぎて不評だった。
このため作り替えられて、現在横浪半島に立っているのは2代目だ。
https://niyodogawa.org/blog/niyodogawa/spot/13506/
中に入ってみる。
入館料は無料だが、協力金として100円を納めるようになっている。
パネル展示だ。
時系列になっていて、分かりやすい。
武市半平太 | 坂本龍馬人物伝
瑞山は捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。
一年半の獄中闘争のなか、まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。
だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが(岡田以蔵が自白する前に毒殺しようとしたが失敗。これに以蔵が怒り暴露した)、それでも東洋暗殺を否定し、老公・容堂に慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。
享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。武市家の家禄は召し上げとなった。
お土産用に、土佐勤王党のコースターが売られている。
記念館の裏手に神社が鎮座する。
瑞山神社だ。
いったん建物から出て参拝する。
武市半平太の墓
さらに石段を登ると、墓がある。
武市家の墓が並ぶ。
下を見ると、桜とリンゴの花が美しい。
今が見頃だ。
駐車場まで戻ってきた。
この後、禅師峰寺に参拝だ。
感想
武市半平太は坂本龍馬ほど有名ではないが、事実上の龍馬の師匠でもある。
尊皇攘夷の明治維新の流れの中で、重要な位置づけの人物だ。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、非常に印象的な人物として描かれていた。
ぜひ墓参と旧家を訪ねて、歴史に思いをはせてもらいたい。
最高点の標高: 21 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 21 m
累積標高(下り): -18 m
総所要時間: 00:22:31