森山八幡宮とは
森山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は、高知県高知市春野町森山(こうちしはるのちょうもりやま)にある神社だ。
祭神は日野資朝〔ひのすけとも〕と日野朝保〔ひのともやす〕だ。
通常は八幡宮の祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと)、つまり応神天皇(おうじんてんのう)なのだが、この森山八幡宮はその名を借りているだけだ。
資朝の長子朝保は、洛西葛野〔かどの〕に父の遺骨を葬り、廟〔びょう〕を建てましたが、北条方の目をはばかってこれを八幡宮と称しておりました。 程なく後醍醐天皇は吉野の行宮で崩御〔ほうぎょ〕せられ、南朝の勢いは年を追うて弱まるばかり、後村上天皇崩御の後は、資朝の子や孫たちは身の置きどころにも困るようになりました。
朝保の子勝朝は、八幡の璽〔しるし〕と重器を背負い、海を渡り阿波を経て吾川郡森山村に着いたと社伝〔しゃでん〕に記されています。八幡の璽というのは資朝の魂代〔たましろ〕のことです。
ここにおいて森山の領主徳弘安宗〔とくひろやすむね〕は、勝朝を迎え厚く待遇〔たいぐう〕していましたが、勝朝の滞在が或は面倒な問題を起こすことになるかも知れないと心配し、
「私が一つの社殿を建てますから、貴殿〔きでん〕は神璽〔しんじ〕をお祀りになって下さい。そして貴殿が神主としてそこでお住まいになれば文句を言う者はないでしょう。」
と言い、社殿を狩谷口(現在地)に建立いたしました。
勝朝はこの社に資朝と父朝保を祀りましたが、これが正平二十四年といいますから凡そ六百年の昔のことになります。
高知市春野郷土資料館から引用
こうしたいわれから、森山八幡宮には日野資朝とその子孫の藤原貞光・照清の肖像と伝えられる三体の神像があり、高知市指定有形文化財となっている。
資朝像と伝えられるものは、高さ35cmほどのヒノキの一木造(いちぼくづくり)です。烏帽子(えぼし)をかぶり合掌して座っていますが、額や口のあたりにシワを刻み、太い眉の下に両目を開き、身体全体には力がみちあふれる印象を受けます。冠に少し黒色が残るのみで、ほとんど素地が出ています。このような像は礼拝のためのものではなく、実在の人物を長く伝えるための肖像とみられます。他の二体も彫法は資朝像と変わりませんが、木材はマツで、一方は口を開き、他方は閉じています。これらは金剛力士にならってつくられたものであり、資朝像の左右に安置したものでしょう。ともに作者などな不明ですが、室町時代の作と想像されます。
さらに、御正体(みしょうたい)(鏡像)と懸仏(かけぼとけ)も、昭和35年に高知市指定有形文化財となっている。
御正体(みしょうたい)(鏡像)と懸仏(かけぼとけ)は、神像や仏像を表現した円板形品で、神社や寺院に奉納するものです。本来は神鏡に本地仏が浮かび上がる状況をあらわしたもので、神仏習合の思想によりつくられたものと考えられます。森山八幡宮には御正体が一面と、懸仏が七面あります。 御正体は白銅製で直径20cm、外周にはカマボコ形の縁をめぐらせています。中央やや上部に8cmの間隔で懸吊(けんちょう)のための鈕(ちゅう)が2個鋳出され、尊号、年月日、施主を陽鋳しています。
駐車場
この日は荒倉神社に参拝した後、車で森山八幡宮にやってきた。
森山八幡宮には駐車場がない。
このため、路上駐車して参拝することにした。
参道
鳥居。
その手前に手水舎。
灯籠。
なんと灯籠の中に狛犬が!
参道は未舗装。
二の鳥居の前に狛犬。
平べったい顔立ち。
お百度石。
百度参りの祈願の内容は、多くは個人的なものであり、その内容が切実なものである場合に、一度の参拝ではなく何度も参拝することでより、心願が成就するようにと願ったものである。 元は、近くの氏神神社や有名な社寺に、百日間毎日参拝するというもので、これを百日詣という。それが簡略化され、また、百日もかけていられない急を要する祈願があって、一日に百度参るという形で百日詣の代わりとするようになった。『吾妻鏡』などの記述から、鎌倉時代初期には百度参りがあったことがわかる。すなわち、『吾妻鏡』には、文治5年8月10日(西暦1189年)、奥州追討の祈祷のために、御台所御所中の女房数輩に鶴ヶ岡に百度参りをさせ、また、仁治2年7月6日(西暦1241年)、北条氏が鶴ヶ岡に百度願をした、とある。また、『平戸記』には、延応2年(仁治元年、西暦1240年)2月11日夜、祇園の社に百度詣をした、とある。
百度参り – Wikipediaから引用
鳥の石像。
参拝
拝殿。
内部はこんな感じ。
本殿。
森山八幡宮は本殿がよく見える珍しい神社だ。
とても大きい。
と眺めていると、、、
巨大なスズメバチの巣を発見。
めげずに、摂社にも参拝した。
詳細は不明だ。
感想
八幡宮なのに祭神が応神天皇でないということに、少々驚いた。
南北朝の抗争が、遠く高知に及んでいることに改めて歴史の面白さを感じる。
遠く600年前に思いをはせて日野氏の忠義を愛で、参拝したい。