琴弾八幡宮とは
琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)は、 高知県土佐市にある神社だ。
JAとさし(土佐市農業協同組合) -土佐百景-
参道に並ぶ杉の木とどっしりと構えた一本のイチョウの木が、訪れる人を静かに迎える琴弾八幡宮。その先の百段を越える階段をのぼると荘厳な社殿が据わっています。ゴミひとつない境内からは氏子の人々に大切に守られている様子がうかがえます。
年に一度開かれる秋の大祭。秋が深まり、イチョウの木が黄金色に染まるころ、八幡宮への道をおなばれが練り歩きます。
秋の大祭は賑わうそうだ。
琴弾八幡宮秋の大祭
地区上げて総出で準備や祭りに加わり夜まで盛り上がりました。特に「ハナ」と言われる天狗のお面をかぶる役目は未婚の若い男性があたり大役です。鬼のお面に髪として付けられた、木削り巻きを鬼から奪い取ると厄除けになると言われ、35年程前の小学校の時には争ってとって鬼に竹の竹刀で叩かれたものでした。
当時は境内の通路には沢山の屋台店が並び色んなものを売っていたことを思い出します。
現在は1軒もでません。
秋になると各地で神祭が盛んに行われますが、年配者が多くなりまた若者の信仰もなくなり年々寂しいものになっています。
でも日ごろ声をかけて話したことのない年配の方や、若い方と酒を酌み交わしながら仲良くなる格好の社交場でもあります。
琴弾八幡宮といえば、香川県観音寺市の琴弾山に鎮座する神社が有名だ。
琴弾八幡宮 | かんおんじ観光ガイド | 観音寺市観光協会 公式ホームページ
瀬大鳥居から381段の階段を上がると本殿がある。途中には、源義経が屋島の合戦の戦勝を祈願して奉納したと伝えられる木の鳥居や、「遍路道の父」とも言われている真念の道しるべが残っている。
琴弾八幡宮の由来に琴の演奏の音楽がながれ、訪れる人の心を癒してくれる。本殿からの眺めは、雄大である。
琴弾八幡宮は琴を祭神とすることから技芸や勝利の神として多くの人々が参拝に訪れている。また、滝沢馬琴の「椿説弓張月」の舞台にもなっている。
この土佐市にある琴弾八幡宮は、そこから分霊を勧請している。
ここに参拝するのは2回目だ。
波介川を歩く
この日は、まず珈琲やでランチ。
食事を済ませ、波介川(はげがわ)沿いに歩く。
この日は3月12日。
菜の花が満開だ。
菜の花ウォーク | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」
波介川堤防の菜の花を眺めながら、みんなで楽しく歩いてみませんか?
琴弾八幡宮
やがて、琴弾八幡宮に続く参道に出た。
道路の向こうが鳥居だ。
戸波八幡宮(へわはちまんぐう)と書かれた碑が立っていた。
このあたりは戸波(へわ)という地名だ。
地名の由来 | 仁淀川財産目録
辺回(へわ)に対し戸波を当てたのだろうか。ヘチ(辺、端)のワ(回、まわり)=戸波とみられる。ヘチというコトバは、ふち、へり、はし、を意味する。「ヘチの道を行って困った」「怒ってヘチむいた」などといずれもまとも(正面)でないほう(方)に使われる。
ヘチのワとは、謡曲「池のみぎわ(水際)の鶴亀」のワであり、「石見の海、津野の浦回を浦なしと人こそ見らめ潟なしと人こそ見らめ」(万葉東歌)のワとみてよいのではなかろうか。
地形語のヘチは、ヘタ(辺、端)に通じる。「淡海の海辺(へた)は人知る沖つ波、君をおきては知る人も無し」(万葉)。ヘタは、名詞、代名詞に付いてこんどはコッチベタ、アッチベタ、ホッペタとなる。さらにヘタは、「へたの考え休むに似たり」で下手へと変化をみせる。これは、ハタ(端)あるいはヘタ(端)という語が本来、奥深い意味をもっているからであろう。
ヘチ、ヘタ、ヘワはヘンピに当たるといわれる。土地柄による戸波の呼び名だろうか。令制は、50戸を里とする戸(ヘ)をつくり戸長(へおさ)を置いた。戸邑(むら)はヘ(戸)ワ(回)ではなかろうか。
その先に社務所がある。
そこから、長い長い石段が続く。
息が切れること必至だ(汗;)
ようやく境内に到着。
再建碑。
昭和50年に火災により焼失し、地区住民がお金を出し合って再建したと書かれている。
散策
参拝を済ませ、さらに波介川を遡っていく。
広瀬公園に到着。
東屋もある。
桜が咲いていた。
感想
石段がとてもきついが、きれいに維持されている神社だ。
地元の氏神様らしいので、地域民に愛されていることがよく分かる。
波介川は菜の花の時期はもちろん、それ以外の時期も散歩に適しているので、ぜひ琴弾八幡宮を目印に歩いてみて欲しい。
最高点の標高: 39 m
最低点の標高: 0 m
累積標高(上り): 165 m
累積標高(下り): -164 m
総所要時間: 03:48:39