三嶋大社とは
三嶋大社(みしまたいしゃ)は、静岡県三島市大宮町(しずおかけんみしましおおみやちょう)にある神社だ。
創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。
三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。
社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。
神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。
この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、
当時の最高技術を結集させたものとして知られています。頼朝旗挙げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、
又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、
伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。
又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
三嶋大社について|三嶋大社 から引用
「三嶋」の名称は、伊豆諸島の尊称である「御島」から来ているとされている。
古代、伊豆国の祭祀には度重なる伊豆諸島の火山活動が深く関係した。その活動は7世紀半ばから8世紀初めにかけてと、9世紀にそれぞれピークを迎えたとされる[108]。当時の火山活動は人々にとって重大な関心事で、その噴火は神の業と見なされていた[108]。そのため、伊豆国では火山に関連した多数の神社が祀られるとともに、卜占の技術も発達した[109]。
三嶋大社 – Wikipedia から引用
全国に411社ある三島神社は、伊予の大山祇神社とともにこの三嶋大社を総本社とする。
伊豆国一宮で、祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
駐車場
この日はキャッスルイン豊川に宿泊していた。
そこから車で、ヒロセパーキングにやってきた。
最高点の標高: 247 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 1223 m
累積標高(下り): -1203 m
総所要時間: 02:10:13
飲食店街のど真ん中にある駐車場だ。
赤橋
車を停め、三嶋大社に向けて歩いて行く。
風情のある太鼓橋があった。
赤橋(あかはし)という。
鎌倉街道(かまくらかいどう)の駿豆五色橋(すんずごしきばし)の一つだ。
三嶋大社の西側にある祓所(はらいど)神社から、西へ行く道路(桜小路)を横切る、御殿川に架かっている橋が赤橋です。 昔はこの道路は鎌倉街道(鎌倉時代の東海道)で、江戸時代から、桜小路と言われています。
この橋の欄干(らんかん)が、赤く塗られているので赤橋と呼ばれています。江戸時代に駿豆(すんず)五色橋(ごしきばし)の1つに数えられていました。昔は水量も多く、豊かな景観だったこの辺りで、松尾芭蕉(ばしょう)が「あじさいや三島は水の裏通り」と詠(よ)んだと言われています。
現在は、橋周辺も整備されていて、市内で最も情緒(じょうちょ)ある橋の1つです。
川 から引用
祓所神社
祓所神社(はらいどころじんじゃ)が見えてきた。
なにやら人が集まっている。
どうやら、祭事を執りおこなっているようだ。
瀬織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神の四柱の神をお祀りする。国司の廰が此の島に祓所大神を鎮斎し国司が三嶋大社参拝の折、国の卜部にお祓いをさせたのが祓所神社の起源と伝える。
境内|三嶋大社 から引用
総門
総門(そうもん)に到着。
昭和5年(1930)北伊豆地震で被災し、翌年に竣功。
三島市指定文化財。総門の注連縄は、重さ400kg、太さ2m、長さ6.4mもある。
境内|三嶋大社 から引用
巨大なしめ縄が架かる。
総門をくぐって進むと、茅の輪くぐりがあった。
この日は2020年6月30日、夏越の大祓(なごしのおおはらえ)があるようだ。
境内
由緒書き。
神馬舎(しんめしゃ)
慶応四年(1868)竣功。古くから当社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登るという伝説が伝えられ、子供の成長と健脚を祈る風習がある。
境内|三嶋大社 から引用
神門(しんもん)
慶応3年(1867)竣功。三島市指定文化財。
御殿・舞殿と同じく小沢派による精緻な彫刻が施される。
境内|三嶋大社 から引用
舞殿(ぶでん)は絶賛工事中(汗;)
慶応3年(1867)竣功。三島市指定文化財。
年間を通じ様々な神事、奉納行事が執り行われる。
御殿と同じく小沢派による精緻な彫刻が施される。
境内|三嶋大社 から引用
キンモクセイが天然記念物に指定されている。
国天然記念物指定。樹齢1200年と推定され、毎年9月上旬と下旬に2度満開を迎える。薄い黄色の可憐な花をつけ、甘い芳香が特徴です。
境内|三嶋大社 から引用
おみくじが並ぶ。
参拝
本殿(ほんでん)に到着。
慶応2年(1866)竣功。国指定重要文化財。
本殿・幣殿・拝殿、三つの建物が連なる複合社殿。
総けやき素木造りで、伊豆の名工小沢半兵衛・希道父子一派による彫刻は精緻で高い完成度。緒神事の他、正式参拝や御祈祷を執り行う。
境内|三嶋大社 から引用
参拝する。
内部はこんな感じ。
立派な建物だ。
客殿(きゃくでん)
御祈祷、御朱印の受付をする所。
境内|三嶋大社 から引用
湧水がある。
総門の横にも、湧水の手水がある。
水が豊富な三島ならではの光景だ。
境内
矢田部盛治の像(やたべもりはるのぞう)
嘉永7年(1854)11月の東海大地震で倒壊した社殿を10年の歳月と16,677両という巨費を投じて見事に復興し明治維新は大総監宮の先導警護及び明治天皇の御通行警護を奉仕し祇園山復にトンネルを掘り上流から水を引いて祇園原の荒地15町歩余りお美田と化した住民の感謝敬慕の念により昭和29年建立された。作者は文化勲章受賞者澤田政廣。
境内|三嶋大社 から引用
宝物館。
三嶋大社に伝わる御神宝、文書、資料など多数保管、展示。
北条政子奉納の国宝『梅蒔絵手箱』は、模造復元品を常設で展示している。
境内|三嶋大社 から引用
神鹿園(しんろくえん)
大正8年(1919)、奈良の春日大社より雄雌8頭の鹿を譲り受けた。毎年3月22日、神鹿記念祭を斎行している。
境内|三嶋大社 から引用
弥次喜多の顔出し看板があった。
もちろん顔を出して写真を撮った(笑)
大鳥居まで歩いてきた。
門前町が広がる。
大鳥居から、参道を戻る。
源頼朝が三嶋大社に参拝した際、従者が警護した跡に生える相生の松(あいおいのまつ)
源頼朝が源氏再興を祈願した際、側近の安達藤九郎がこの地で警護をしていたと伝える。
境内|三嶋大社 から引用
たたり石。
東海道と下田街道の真ん中にあり、交通整理の役目を果たした石。約2900年前の富士山噴火により運ばれたと石とされる。
境内|三嶋大社 から引用
「たたり」という言葉の意味を、初めて知った(汗;)
旧東海道の中央に置かれていた石。 東海道を行き交う人の流れを整理していた石だったという。
しかし、本来、糸のもつれを防ぐ=人の流れを整理という意味で用いられていた「たたり」という言葉が、東海道の人の往来が頻繁になるに従い、この石を取り除こうとする動きがあって、その度に災いがあったことから、「祟り」に置き換えられてしまったのだという。
旧東海道の「たたり石」~伊豆:三嶋大社~ から引用
厳島神社。
市杵嶋姫命をお祀りし、北条政子が勧請したとされる神社。安産・裁縫上達の信仰があり、辨天様とも称され芸事上達の信仰もある。
境内|三嶋大社 から引用
ちょうどアジサイが見頃だった。
祓所神社まで戻ってきた。
三嶋大社を後にして、散策に向かった。
感想
見どころ満載の神社だ。
とても広く、格式もある。
さすが、伊豆国一宮だけのことはある。
必見だ。
最高点の標高: 48 m
最低点の標高: 24 m
累積標高(上り): 81 m
累積標高(下り): -80 m
総所要時間: 02:27:49