天満天神宮とは
天満天神宮は、高知県高知市福井町(こうちしふくいちょう)にある神社だ。
祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)
福井町の天満天神宮、八坂神社、熊野神社、越智神社、若宮八幡宮、左婆為神社、北岡神社の7柱が祀られている。
駐車場
この日は天壇でランチを済ませ、天満天神宮にやってきた。
露地を入ったところに、神社が鎮座する。
駐車場は、参道の脇にある。
ここには公民館があり、駐車場を共有しているようだ。
参道
鳥居から、参道が続く。
由緒書き。
祀られている7柱が彫られている。
狛犬にはよだれかけ。
それにしても狛犬がこれほど並ぶと壮観だ。
参道の右側は公民館だが、左側には梅の木が植えられている。
菅原道真と梅とは深い関係がある。
この日は2019年4月25日で、青梅が実っていた。
菅原道真が没したのは903年で、それから1,100年の祭事の記念碑が建てられていた。
その他にも、祈念碑がたくさんある。
手水舎。
二の鳥居の脇にも、狛犬。
なにやら腰掛けのような不思議な形の岩がある。
参拝
拝殿はコンクリート製で、校倉造りの金ぴかが印象的だ。
撫で牛。
撫牛
撫牛とは、自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでたあと、その牛の身体の同じ箇所をなでると、悪いところが牛に移って病気が治るという俗信であり、風習である。この信仰は、まじないの手法のひとつである「撫物(なでもの)」に由来する。すなわち、みずからのツミやケガレ、邪気を人形に移して祓い、心身を清めるというものである。このようなかたちの俗信には、信濃国善光寺(長野県長野市)や奈良東大寺大仏殿前の「おびんずる」(お賓頭盧)や浅草寺(東京都台東区浅草)脇の浅草不動尊の「撫で仏」がある。
撫牛は、病気平癒のみならず、諸願成就にも効力があるとされ、開運を信じて常に牛の身体をなでていれば、出世はもとより、万事願いがかない、みずから思いもよらない幸運に恵まれることさえあるといわれる。子女の無病息災や子孫繁栄などの効能があるともいわれ、東京向島の牛嶋神社には、撫牛によだれ掛けを奉納する風習があり、それを生まれたばかりの乳児に掛けると元気に育つという口承(言い伝え)がのこる。
境内には、3体もの撫で牛が据えられていた。
菅原道真にとって、牛は神の使いだ。
菅原道真公と牛について|長岡天満宮
菅公は仁明天皇の御宇、承和12(845)乙丑6月25日すなわち丑年のご生誕であり、貞観元年己卯 月2月乙丑、ご元服の当夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。
寛平5年、癸丑の9月、公は北山に茸狩りの宴を催されましたが、いずこからともなく小牛が宴席近く寄 り、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、公はたいそうお喜びになって御館に連れて 帰り、お可愛がりになりました。
又、菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、時平の命を受けた笠 原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、宿 禰の腹を突き刺しました。よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。公は「都にて流罪 極る前夜、不思議に 逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。これにより牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれたのであります。
そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年( 903)2月25日の丑の日に薨去されました。 由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。
お百度石も据えられている。
おみくじの自動販売機も設置されていた。
参拝後、小津神社に向かった。
感想
あまり大きくはないが、このあたりの総社として7柱を集めて合祀する場所だ。
それだけに掃除も非常に行き届いており、信心の篤さを感じる神社だ。
遠い昔の菅原道真を偲び、参拝して欲しい。