赤岡町とは
高知県香南市赤岡町(こうちけんこうなんしあかおかちょう)は高知市中心部から車で40分ほどの町だ。
ワシは、幕末の頃、香南市赤岡町に住んでいた絵師、弘瀬金蔵(通 称:絵金)をモデルにつくられておる。町では、絵金の描いた色鮮やかな芝居絵が見られる「絵金まつり」などのイベントが開催されておるのじゃよ。
高知のKOUNANぶらっとナビ(高知県香南市観光協会発信の観光情報ナビゲーションサイト)|香南ガイドマップ - 赤岡町 から引用
網曳神社
この日は食蔵一でランチを済ませた。
食後、すぐ前にある網曳神社(あみひきじんじゃ)に参拝する。
小さな社だ。
境内社として秋葉神社(あきばじんじゃ)が鎮座する。
伊能忠敬緯度計測記念碑
参拝後、駐車場に建てられている観光マップを確認。
この場所には、伊能忠敬(いのうただたか)緯度計測記念碑が建っている。
江戸時代、日本地図を作るために全国を歩いて回った伊能忠敬が、ここ赤岡を訪れています。場所は本町商店街のまんなかあたり。モダンなレンガの堀が目印です。当時、県東部の商都として賑わっていた赤岡を偲ぶ碑があります。
伊能忠敬測量地|一般情報|香南市役所 から引用
レトロな街並みを見ながら歩いて行く。
弁天座の駐車場は新型コロナウイルスのせいで閉館中ということでガラガラ。
おっこう屋
雑貨店を発見。
伊能忠敬たちが宿泊した脇宿(脇本陣)の長木屋の屋敷だったそうだ。
ここから絵金蔵の方に歩いて行く。
赤岡大橋を見て、戻る。
豊の梅
赤岡町にある酒蔵「豊の梅(とよのうめ)」に立ち寄った。
どろめ祭りで有名だ。
高知素材を活用し、きめ細やかな手造りで洗練された品質且つ土佐の食文化と酒文化にも溶け込む土佐酒らしい個性を持った土佐体感地酒を目指します。 また、産官学や異業種との交流・連携は日本酒に豊かな個性と、新たな可能性を加えてくれます。地酒リキュールや土佐宇宙酒はこの様な交流・連携から誕生しました。
同様に、人口減少の激しい高知県のような田舎を活性化していくには、交流人口を増やし、垣根を超えた連携を取る事が重要な策です。地酒蔵はその一翼を担っています。
はし拳大会、土佐のおきゃく等の酒イベントを通じ、又どろめ祭り、絵金祭り等への係わりを通じ、あるいは通年の酒蔵見学、近隣の観光施設との連携などを通じて、多くの方が高知の光に触れ、新たな交流と連携が生まれ、高知の元気に繋がればと願っています。
お酒のこだわり|高木酒造株式会社 から引用
そこから戻る途中にあるのが、中日ラーメンで有名なとさを商店。
中華麺をうどんだしでいただく「中日ラーメン」。とさを商店ではちりめんだしを使い、ちりめんを上にのせました。お酒の後のシメに最適!!
絵金蔵
歩いて行くと、絵金蔵(えきんぐら)に到着だ。
おどろおどろしい絵金の絵が展示されている。
闇の中に蝋燭の灯りで浮かび上がる
極彩色の芝居の世界。
祭礼の夜を彩る絵金の強烈な赤
“血赤”は、
邪気を払う魔除けの色として
庶民に受け入れられました。
そこには、当時の土俗信仰や
大衆文化との関わりがうかがえます。絵金の文化が花開く瞬間、
そこには何があったのか。
当時の絵金観から見える文化があります。
その向かいが弁天座(べんてんざ)
平成の芝居小屋「弁天座」が復活! ふたたび、赤岡町に誕生。
弁天座 から引用
こちらは新型コロナウイルスのせいで閉館中。
庄屋の屋敷跡だ。
徳弘梅左
近くに徳弘梅左(とくひろばいさ)という俳人の家があるというので、これは行ってみるしかない(笑)
梅左は天保14年(1843)、香美郡山田村(現、香美市土佐山田町)に美濃派俳人・徳弘其舟(きしゅう)の子として生まれた。 梅左も俳人として父と共に子弟の指導にあたっていたが、幕末には藩の下級役人、明治期は赤岡町役場の書記としても出仕していた。
明治13年(1880)には、俳友の中沢得治(松風)の追善句集で序文執筆や選句を担当した。
普通の民家だった。
それでも門下生が300人もいたとは凄い。
絵金がアトリエを構えていたそうだ。
駐車場に戻り、車でモネの庭に向かった。
感想
赤岡町を歩くのも7年ぶりくらいだろうか。
新型コロナウイルスのせいか、とても寂れた感じがして残念だ。
今年はどろめ祭りも中止が決まり、逆風まっただ中。
とても魅力的な町だけに、巻き返してほしいものだ。
最高点の標高: 13 m
最低点の標高: 5 m
累積標高(上り): 24 m
累積標高(下り): -26 m
総所要時間: 01:02:43