もっきんろーどとは
もっきんろーどは、愛媛県八幡浜市保内町川之石(えひめけんやわたはましほないちょうかわのいし)にある遊歩道だ。
レトロな雰囲気をゆっくりと歩きながら楽しめる遊歩道。歩道沿いには、現在も旧東洋紡績赤レンガ倉庫や美名瀬橋など歴史ある建物が残っており、当時の雰囲気を色濃く残している。全長350mほどの木製遊歩道を歩けば、保内町が栄えていた明治時代の様子が思い出される。反対側の川岸は、伊予の青石で矢羽積みされた岸が続いておりこちらも特徴的。また、県内在住の芸術家による彫刻のモニュメントやベンチなども設置され、途中でくつろぐこともできる。
この町は明治時代に鉱山の町、紡績の町として栄えた。
現在は宮内川沿いにウッドデッキが整備され、往時の隆盛を歩きながら見られるようになっている。
駐車場
この日は農家レストランくさぶきでランチを済ませた。
そこから車で、愛媛県に入る。
途中でゲリラ豪雨に遭う。
しかし八幡浜市に入ると、青空が見えてきた。
大平交差点を右折し、名坂道路に入る。
もっきんろーど街並み散策駐車場に到着。
6台ほど停められそうだ。
無料なのがありがたい。
旧白石和太郎洋館
街並み散策駐車場の向かい側にあるのが、旧白石和太郎洋館(きゅうしらいしわたろうようかん)だ。
保内町川之石には、別子銅山に次ぐ四国第2の鉱山として名を馳せた大峯鉱山がある。この鉱山は明治20年代に菊池長太郎によって発見され、白石和太郎が経営を開始したと考えられている。大峯鉱山は、明治40年頃には月産6,000トンの出鉱量を誇ったといい、昭和33年に閉山するまで、鉱山業の一時代を築いた。なお、大峯鉱山は現在も見学が可能である(要予約)。 鉱業で大きな功績を残した白石和太郎の邸宅は、木造瓦葺きに洋風建築を意識したデザインを取り入れた擬洋風の建物で、「旧白石和太郎洋館」として八幡浜市の有形文化財に指定されている。玄関や窓上部に施されたペディメント(二等辺三角形の飾り)や天井に施された鏝絵(こてえ)(左官職人が鏝を使って壁に描いた絵)などが特徴的である。いつ建てられたのか、建築時期は長らく不明だったが、2005年1月に屋根を修復した際、鬼瓦の裏面に新聞記事のインクが写っているのが発見された。瓦製作時に下に敷いた新聞が写し取られたとみられ、調査の結果、明治36年4月14日の「愛媛新報」(現 愛媛新聞)であることが分かった。これにより、白石和太郎洋館は、明治36年頃に建てられたものということが判明した。
白石和太郎は、大峯鉱山を経営し町の隆盛につなげた。
家業の酒造業を経営したが、明治23年から喜須来村の兵頭矩と共同経営で柳谷鉱山の採掘を始め、24年からは白石隆一と共同出資の白石鉱業会社を組織し、川之石村大峯鉱山の採掘を始めた。 42年宇和鉱業会社を設立してその代表者となり、大峯鉱山の経営を続けて別子鉱山に次ぐ四国第2の産額をあげるまでに発展させ、従業員100人近くが働いた。 38年には宇和紡績を買い受けて紡績業の経営にも当たった。この間、32年9月県会議員に選ばれたが、企業経営多忙のため36年9月1期だけで退いた。 34年7月には川之石村長となり39年6月まで2期町政を担当した。地元川之石の公共事業にも巨額の寄付をし、31年八部小十郎らと川之石就学奨励会を設けて貧窮児童を保護して就学向上に努めた。大正4年8月30日、47歳で没した。
その後「川之石ドレスメーカー女学院」として使用されていたという。
この洋館は、昭和25年から平成元年まで、「川之石ドレスメーカー女学院」として使用されていた。今でも地元では“ドレメ”の愛称で親しまれている。
残念ながら、この日は内部を見ることができなかった。
宮内川
宮内川まで歩いてきた。
橋を渡ると、水の中にたくさんのボラが泳いでいるのが見えた。
さらに進むと、地蔵があった。
参拝し、さらに歩いて行くと八幡浜市立保内中学校があった。
橋のたもとには、愛媛県らしくミカンの飾り。
もっきんろーど
ここから、ウッドデッキが始まる。
きれいに整備された遊歩道だ。
ベンチも置かれていて座りたかったが、なにせ暑すぎて太陽の下にはいたくない(汗;)
地元の芸術家の作品が、あちこちに展示されている。
台風で流れてしまった旧和田橋の部材(花崗岩)を使ったモニュメントだそうだ。
旧東洋紡績倉庫
やがて、レンガ造りの旧東洋紡績倉庫(きゅうとうようぼうせきそうこ)に到着。
非常に美しい建物だ。
紡績業は、近代化の大変大きなきっかけとなった産業のひとつですが、保内川之石地区で紡績業が始まったのは、明治20年代に「宇和紡績」という紡績会社が設立されてからです。宇和紡績は四国で初めて設立された紡績会社でもありました。
以後、経営者を変えながら紡績工場は操業を続け、大正3年には東洋紡績川之石工場として稼動することになりました。その当時の川之石地区に建設された東洋紡績の工場は16棟にもおよんでいたそうですが、現在は、そのうち原綿倉庫として利用されていた「赤レンガ倉庫」と関連施設が残っています。今も倉庫の壁にはうっすらと「東洋紡績川之石工場」の文字が残っています。「赤レンガ倉庫」は現在、地元の製材会社の倉庫として使用されており、中には入れませんが、外観は、近くにある「もっきんろーど」から間近に見ることができます。
そのすぐ横に架かるのが、美名瀬橋(みなせばし)
美しい橋だ。
赤レンガ小路
ここから駐車場に向けて戻っていく。
醤油工場があった。
カワイシ醤油という。
金刀毘羅神社があったが、石段にひるんで鳥居から参拝することにした(苦笑)
赤煉瓦の塀が続く。
赤レンガ小路というそうだ。
さらに歩いて行く。
旧白石和太郎洋館まで戻ってきた。
もう汗だくだ。
車で、先に進んだ。
感想
もっきんろーど自体はウッドデッキの遊歩道に過ぎないが、その沿道には旧白石和太郎洋館など往時を偲ばせるみどころが点在する。
この日は2020年8月27日で猛暑日の厳しい気候だったが、もう少し涼しければ気持ちのいい散策路だろう。
八幡浜を身近に感じられる、いいスポットだ。
最高点の標高: 22 m
最低点の標高: -9 m
累積標高(上り): 54 m
累積標高(下り): -54 m
総所要時間: 00:19:27