茶園堂 ⇒ 170年間の片岡氏の栄華を伝える

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茶園堂とは

茶園堂(ちゃえんどう)は、高知県高岡郡越知町片岡(たかおかぐんおちちょうかたおか)にあるお堂だ。

ここは以前にも訪れたことがある。

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由緒書きには、この茶園堂で1560年に盆踊り会を催したと書かれている。

茶園堂と盆踊り

寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。
そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。
14代片岡光綱は、片岡・法巌の2城を築き、片岡に移り住み、茶園堂も建てて接待を続けた。

永禄3(1560)年茂光の死後、その妻(長宗我部国親の妹)理春尼は、夫と兄の死を悼み、供養に明け暮れると共に村の幼童を集めて読み書きを教え、夫・茂光が遺愛の盆踊りを育成し、ここ茶園堂の庭、瑞応寺(黒岩郷)、天忠寺(黒岩郷)で毎年盛大な盆踊り会を催した。
片岡氏滅亡後も村人たちは絶やすことなく続けた。

後年、土佐藩執政野中兼山は、毎年供養の灯油3升を永代下賜として助成した。
これが現在も続けられている片岡茶園堂や瑞応寺の盆踊りである。

2004年8月
越知町教育委員会
越知史談会

【 参考・引用 】  説明板より

片岡の茶園堂 – 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる – 南国土佐へ来てみいやから引用

この立て看板には「茶園堂」と書かれているのだが、横にあるSONIAの看板には「茶円堂」と書かれている。

ネットで検索しても茶園堂としか出てこないことから、SONIAの表記は間違いかも知れない。

ここに出てくる片岡氏は、13,000石の大豪族だったそうだ。

豊臣秀吉の九州征伐で城主が戦死し、片岡氏は滅亡した。

応永十八年(1411年)片岡直弘が上野国片岡郷より土佐に移り、築城したと云われる。

元亀二年(1571年)城主片岡光綱のとき、長宗我部元親に降ったと云われる。

天正十三年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で、片岡光綱は伊予の金子城主金子備後守元宅の援軍として伊予へ赴き、小早川隆景の軍勢と野々市原で戦って討死した。

また、片岡光綱の子光政は豊臣秀吉の九州征伐で、天正十四年(1586年)十二月豊後国戸次川の戦いで島津家久の軍勢と戦って討死した。

片岡城(越知町) – 古城盛衰記から引用

駐車場

この日は近くの諏訪大明神に参拝した後、茶園堂にやってきた。

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片岡沈下橋への道との分岐点。

県道脇が広くなっている。

ダンプが少し気になったが、前回と同じ場所に車を停める。

道路を渡って、片岡沈下橋に向かう。

この日は2019年5月2日、初夏には欠かせない小夏(こなつ)を良心市で売っていた。

スロープを下りる。

県道をくぐる。

すると、ちょうどハイエースが出てくるところだった。

ここに車を停められるようなので、こちらを利用した方がいいかもしれない。

片岡沈下橋

片岡沈下橋が見えてきた。

ゴールデンウィークということもあり、SUPを楽しんでいる人もいる。

対岸に渡ってみた。

さすが10連休、多くの観光客がいる。

ここでこんなに多くの人を見たのは初めてだ(笑)

この日の仁淀川は、少し濁っていた。

それでも川面を流れる風が気持ちいい。

対岸から写真を撮ってみた。

茶園堂

片岡沈下橋から坂道を上り、右側の坂道に入る。

このまるで鉄工所のようなところが、茶園堂だ。

まずは参拝。

内部。

きちんと維持、整備されている。

この場所には、以前は樹齢600年のムクノキが立っていたそうだ。

樹齢600年を越す越知町片岡の茶園堂横のムクノキが枯れた

高知の面白情報・今昔・夜景・等々 県内の巨木と高知市指定保存樹木から引用

片岡氏の興亡を見続けのただろう。

参拝を終え、仁井田五所神社に向かった。

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感想

いつも片岡沈下橋とセットで訪れている。

規模は小さいのだが、いつもきれいに整備されていて好感が持てる。

この付近の地名の片岡は、片岡氏から来ている。

戦国時代に滅亡したにもかかわらず今でも参拝されているのは、住民から深い尊敬を集めた証しだ。

遙か昔を偲びながら訪れたい。

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