道の駅 蓮如の里あわら
2025年5月7日、前回は長野県上伊那郡辰野町(ながのけんかみいなぐんたつのまち)にある横川渓谷(よこかわけいこく)を歩いた。
この日は車で国道361号線を走る。
高山ICから中部縦貫道に乗る。
飛騨清見ICからは有料区間になる。
富山方面へ。
富山県に入った。
北陸道に入る。
金沢方面へ。
加賀ICで下りる。
福井県に入った。
道の駅 蓮如の里あわらに到着。
日本で唯一つ、蓮如さんをテーマにした福井県認定博物館で、蓮如さん直筆の名号(みょうごう)(南無阿弥陀仏)の所蔵数は日本一を誇ります。常設展のほか、多彩な特別展、オホーツクのクリオネと流氷に1年を通して会えるなど、見どころ満載。 また、絶景の鹿島の森、北潟湖、日本海が一望し、蓮如さんのお心を散策で体感してココロをキレイにする庭園ミュージアム、総檜・寝殿造りの鳳凰閣には、京都で人気のイクスカフェが北陸初出店し、和スイーツが楽しめます。
道の駅 蓮如の里あわら から引用
道の駅 蓮如の里あわら
〒922-0679 福井県あわら市吉崎1丁目801
0776-65-2453
絶景カフェでお団子炭火焼き体験!【福井県観光】茶そばカルボナーラを喰らう!道の駅蓮如の里あわら【旅行VLOG、レビュー】北潟湖を望む大きな窓はくつろぎ感抜群!歴史探訪できる蓮如の里ウォーキング!
ここは浄土真宗中興の祖といわれる蓮如が布教の拠点とした場所だ。
もの凄い建物があそこにあります。
北潟湖(きたがたこ)に面している。
道の駅が閉まってる?!
道の駅はいつでも開いてると思ってたから。
まさかの休業?
予定ガ〜イ。
まず案内看板でルートを確認。
有名なカフェがある。
ここは食べるものがあまりないの。
2023年にできたばかり。
5月7日は全館メインテナンスのため全館臨時休業だそうだ。
ガーン!楽しみにしてたのに。
トイレはさすがに開いています。
いかにも和風って感じね。
便座は洋式(当然だが)
素晴らしい。
イクスカフェ
浄土真宗が親鸞によって興されてから一旦衰退したそうなんです。
中興の祖になったのが蓮如さんだそうです。
上人が高揚した教えと精神は、燎原の火の如く、瞬時にして北陸の大地に広まり、全国へ波及します。しかし、それ以前の本願寺は京都東山にあって、ご開山親鸞聖人の血脈を受け継ぐものの、「人跡絶え、さびさびとおわします」という微々たる存在に過ぎませんでした。
ですからここは浄土真宗の本家本元みたいなところですね。
あわら市は平成16年に芦原町と金津町が合併してできた。
芦原温泉で有名だ。
芦原温泉駅を中心に日本海まで広がっている。
現在地は石川県との県境にあたる。
北潟湖(きたがたこ)は汽水湖。
コイやフナ、ウナギなどの魚釣りができるそうだ。
イクスカフェ。
京都で人気のカフェが府外に初出店したそうだ。
もともとはこの建物が「蓮如上人記念館」だった。
そのため総檜・寝殿造りというカフェとは思えない建物になっている。
メチャおしゃれ。
北潟湖(きたがたこ)を見渡せる大きな窓の前の席をゲット。
リッツカールトンかと思いました。
なんなんですかこの景色。
茶そばのカルボナーラ1,500円にした。
くつろぐおじいとおばあ。
これ凄くないですか。
茶そばのカルボナーラはこんな感じ。
説明してもらったのにトッピングを忘れているおじい。
しば漬、塩昆布、粉チーズ。
「京都嵯峨たまごや」の濃厚卵を使用しているそうだ。
お箸で食べる。
お皿も気合い入ってますね。
味はまるでカルボナーラです。
麺が茶そばというだけで完璧にカルボナーラですね。
ボリューム満点。
ベーコンが凄く美味しい。
普通のベーコンじゃないですね。
勝手にカルボナーラをよこすおばあ。
激盛りになった(汗;)
トッピングを試してみる。
やはり箸では食べづらい。
普通にカルボナーラでもの凄くおいしいです。
お漬物の味がカルボナーラの味に負けてますね。
両方とも凄くしょっぱいものね。
風味がカルボナーラの感触に全部隠れて。
むしろ味変で一口そのまま食べる方がいいかもしれません。
すごくしょっぱくなるんですけど、昆布の味が負けるんですよね。
おじいの得意レビュー「負ける・隠れる」
デザートにほくほくお団子セットを頼んでみた。
炭火で自分で焼くというアトラクション。
値段を見て「おげる」おばあ。
まずみたらしで食べてみる。
普通にお団子ですね。
元の(お団子に)甘い味がついてる。
抹茶付き。
白山からの風が吹いてきますので。
汀公園
蓮如上人記念館に入ってみた。
内部はこんな感じ。
クリオネは撮影OK。
煩悩の林。
おじいの頭は煩悩の熱帯雨林。
セクハラおばあ。
きれいな公園になっている。
北潟湖(きたがたこ)を借景とした日本庭園。
渡渉に張り切るおばあ。
楽々クリア。
これで幌尻岳(ぽろしりだけ)に行けるでしょうか。
今日は寒いですね。
日本海側は随分と気候が違うので驚きだ。
これが蓮如上人。
室町時代の僧で浄土真宗中興の祖といわれる。
吉崎別院
吉崎別院は通称吉崎御坊と呼ばれ、文明3年(1471)に蓮如上人によって建てられた。
上人は吉崎に赴いてから御文章の発給が急激に増え、また朝夕の勤行に正信偈和讃を依用して大衆に宗教儀礼への参加の道を開いていかれ、教化活動への熱意が窺われます。吉崎の御山上に坊舎を建立して二年余を経過したころには、道俗男女群参し、多屋が立ち並び、民家も二百軒と増え、一大寺内町が構成されていきました。
当時は辺鄙な寒村であった。
2年ほどで民家も二百軒と増え、一大寺内町が構成されていった。
一向一揆が激しくなると加賀武士による圧迫を受け吉崎を退去した。
永正3年(1506年)に朝倉氏が一向一揆を退けた後、吉崎の坊舎を破却し以後廃坊となる。
延享3年(1746年)に西別院が、翌年には東別院が建立された。
西別院は真宗本願寺派。
念力門。
かつての西本願寺北総門で1591年に豊臣秀吉から寄進されたと伝承されるが、実際には江戸時代後期の建立と見られる。
阿弥陀堂の紋所は下り藤。
念力門には桐と菊の紋所。
東別院は真宗大谷派。
ここは拝観料がかかるから。
ここはこの辺りで。
拝観料がかかるのでここまで。
太鼓堂は1745年(延享2)に大工小屋として建てられた。
名古屋城の櫓と同様式。
江戸時代には刻を報せる役割を果たしていた。
明治時代に一時期は吉崎小学校となっていたが現在は宝物拝観所となっている。
「嫁威肉附面(よめおどしにくづきのめん)」がある。
蓮如上人の説く念仏の教えを信じる嫁を鬼の面をかぶって脅かし妨害しようとする姑が、鬼の面が取れなくなり蓮如上人の教えを聞いて懺悔し、鬼の面がとれるという説話。
拝観料がかかる場所には行かないおばあ。
吉崎御坊跡
吉崎御坊跡は一周できる道が付いている。
本願寺が東西に分かれ別院も本願寺派と大谷派に別れて対立した。
そのため江戸幕府は吉崎御坊跡に本堂を建てることをどちらにも認めなかった。
別院は吉崎御山の麓に本堂を構えることとなった。
吉崎御坊跡は現在は国の史跡に指定され公園として開放されている。
春には桜が咲き乱れる。
蓮如上人御腰掛の石。
本堂跡。
蓮如上人の銅像。
竹灯籠が続いている。
加賀千代女の句碑。
蓮如上人お手植えのお花松。
既に枯れて切り倒されていたが東屋で保護されていた。
吉崎小学校の前を通って戻る。
ここは福井県と石川県の県境。
道の駅 蓮如の里あわらに戻ってきた。
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