ラピュタン/高知県土佐市【ランチ】〜新川川公園〜東諸木八幡宮御旅所〜唐音の切抜〜竃土神社〜地主神社〜雪蹊寺〜秦神社〜若宮八幡宮〜高知海岸

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ラピュタン

2023年3月5日、この日は自宅を車で出発し、ラピュタンにやってきた。

ラピュタン/高知県土佐市【ランチ】〜塚地峠〜大峠展望所〜高山展望所【ハイキング】
2023年1月21日、この日は自宅を車で出発し、ラピュタンでランチ。車で塚地峠に移動し、ここから大峠展望所〜高山展望所までピストン。天気が良く、石鎚山や室戸岬まで見渡せた。

ラピュタン
高知県土佐市高岡町丙359−5
088-852-5919

店内はこんな感じ。

一番奥のテーブル席をゲット。

ここの日替わりランチは、4種類から選べる。

おじいは豚の生姜焼き。

みそ汁ではなくツガニ汁なのが嬉しい。

ごはんは男性は大きめ。

おばあは鮭の大根おろしがけ。

結構なボリュームがある。

味が濃くてごはんがすすみそうです。

コーヒー付き。

新川川公園

食事を終え、車で新川川公園(しんかわがわこうえん)にやってきた。

新川川公園
高知県高知市春野町東諸木2900−9

ここは太平洋にほど近い場所だ。

ここから歩いて行く。

東諸木八幡宮御旅所

東諸木八幡宮御旅所まで歩いてきた。

東諸木八幡宮御旅所
高知県高知市春野町東諸木

唐音の切抜

唐音の切抜(からとのきりぬき)まで歩いてきた。

自膳工房れお/高知市春野町【ランチ】新川川沿いに新川川公園〜唐音の切抜〜竃土神社〜地主神社〜秦神社〜雪蹊寺〜高知海岸【ウォーキング】
自膳工房れおでチキンカツのランチ。車で新川川公園に移動し、そこから唐音の切抜〜竃土神社〜地主神社〜秦神社〜雪蹊寺〜高知海岸と10kmほど周回ウォーキングした。雪蹊寺の紅葉が美しかったが、歩いていると暑いくらいの一日だった。

野中兼山(のなかけんざん)が江戸時代に築いたものだ。

新川川と浦戸湾を結ぶ水路として開発され、仁淀川流域と高知城下町とが内陸水路によって結ばれ、産業が発展した。

新川のおとし ⇒ 野中兼山が築いた仁淀川と城下を結ぶ水運の要衝
新川のおとしとは 新川のおとし(しんかわのおとし)とは、高知県高知市春野町森山(こうちけんこうちしはるのちょうもりやま)にある堰だ。 「...

1648年より5年の歳月を費やして完成した。

長さ90m、高さ27m、幅12m。

竃土神社

竃土神社(かまどじんじゃ)まで歩いてきた。

竃土神社に参拝する。

ご神木はクスノキ。

地主神社

その先に、地主神社(じしゅじんじゃ)が鎮座する。

地主神社のご神木はスダジイ。

雪蹊寺

雪蹊寺(せっけいじ)に到着。

四国八十八ヶ所霊場第33番札所だ。

雪蹊寺 ⇒ 長曾我部ゆかりの寺は史跡に満ちる(第33番札所)
雪蹊寺とは 高福山高福院雪蹊寺(せっけいじ)は高知県高知市長浜にある第33番札所だ。 臨済宗妙心寺派で、薬師如来を本尊とする。 四...

弘法大師の開基で、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の法号にちなみ雪蹊寺と改称された。

桜が咲いていた。

「南学発祥の道場」といわれ、天質和尚が朱子学南学派の祖として活躍した。

本尊は薬師如来(やくしにょらい)

高福山 幸福院 雪蹊寺(こうふくざん こうふくいん せっけいじ)といい、臨済宗妙心寺派の寺だ。

大師堂に参拝する。

秦神社

すぐ隣が、秦神社(はだじんじゃ)だ。

四国を統一した戦国武将の長宗我部元親を祭神とする。

明治の廃仏毀釈により雪蹊寺が一時廃寺となったため、1871年に建立された。

ここは長浜城趾(ながはまじょうし)だ。

元は本山氏(もとやまし)の居城だったが、戸ノ本(とのもと)の戦いで長宗我部国親(くにちか)が攻めた。

この時に当時「姫和子」と呼ばれていた元親も参加し、これが彼の初陣となる。

「姫和子」と呼ばれていた元親は、このとき槍の使い方もまだ知らず、重臣の秦泉寺豊後に「槍というものは、敵の目を突くものと心得られよ」と教えられての出陣だった。この初陣で20騎ばかりの手勢を引き連れて奮戦し、本山勢を打ち破るという、誰も予想をしなかった戦果を挙げ、後には「土佐の出来人」「鬼和子」と呼ばれる武将の片鱗を見せた。

戸ノ本古戦場 – 高知市公式ホームページ から引用

祭神は長宗我部元親だ。

拝殿内部はこんな感じ。

長宗我部盛親(もりちか)慰霊の碑に向かう。

大坂夏の陣で処刑された。

『秦』の名は、長宗我部氏の先祖が「秦」姓であったことに由来する。

若宮八幡宮

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)まで歩いてきた。

駐車場はとても広い。

若宮八幡宮は、長宗我部元親が初陣の前に戦勝祈願した神社だ。

若宮八幡宮の由緒書き。

祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、高龗神(たかおかみのかみ)

長宗我部元親の嫡男である信親(のぶちか)が太閤秀吉の命で九州に出陣する際、この鳥居に軍旗が引っかかった。

不吉だと言われたが、そのまま出兵した。

戸次川(へつぎがわ)の戦いで信親が戦死したため、不吉な鳥居として海に流してしまった。

長年鳥居のない神社だったが、慶応地震で礎石が浮き出したことから、神意として再建された。

雛人形が展示されていた。

社殿は出蜻蛉式と呼ばれるトンボ型をしている。

トンボは勝虫ともいわれ、戦には縁起のよい虫とされた。

トンボは一名、勝虫ともいわれ、戦には縁起のよい虫とされました。神社の
本殿をしっぽに見立て、トンボが飛び立とうとしている姿になっている建築
様式で、元親公が御定めになられました。

若宮八幡宮について から引用

新型コロナウイルス以前は、拝殿の横に「槍通す輪」があった。

長宗我部元親が槍を練習したと言うことで、努力を続ける「やり通す」ご利益があるとされた。

天神宮。

参道には「どろんこ祭り」で使われる田んぼがある。

「顔に泥を塗る」と無病息災になるとされる、奇祭だ。

長宗我部元親の銅像まで歩いてきた。

1999年に建立された。

高知海岸

太平洋まで歩いてきた。

ここから海岸線を歩いて行く。

合計距離: 9396 m
最高点の標高: 24 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 65 m
累積標高(下り): -65 m
総所要時間: 02:39:32
Download file: 20230305_高知市.gpx
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