鹿島神宮とは
鹿島神宮(かしまじんぐう)は、茨城県鹿嶋市宮中(いばらきけんかしましきゅうちゅう)にある常陸国一宮だ。
祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った。鹿島神宮の祭神。
歴代の武家政権から武神として信仰されてきた。
武甕槌大神が神武天皇に授けたとされる韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)は、国宝に指定されている。
所蔵品としては、国宝であり日本最古最大の直刀(金銅黒漆平文拵・附刀唐櫃)をはじめ、梅竹蒔絵鞍(重要文化財)、太刀(銘景安)、古瀬戸狛犬、銅印、木造狛犬、黒漆螺鈿蒔絵台(県指定文化財)等古くから伝わる宝物のみならず、神社に縁のある雪村筆「百馬図」、横山大観筆「鹿島洋朝瞰図」なども収蔵されています。
全国にある鹿島神社の総本社だ。
https://niyodogawa.org/blog/niyodogawa/spot/11866/
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
御由緒・御祭神 | 鹿島神宮 から引用
駐車場
この日は香取神宮に参拝した。
そこから車で、鹿島神宮にやってきた。
鹿島神宮の前のコインパーキングに車を停める。
24時間で200円とかなり安め。
参道
鳥居が巨大だ。
由緒書き。
きれいな参道。
案内看板。
かなり広そうだ。
手水舎。
楼門。
日本三大楼門の一つだ。
重要文化財に指定されている。
日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたとあり、浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。昭和15年の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
参拝
拝殿に到着。
本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。 本殿は参道から見て一番奥にある三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。
拝殿は手前に見える建物で、正式参拝や結婚式の際にお上がりいただくことができます。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
参道に対して右側に鎮座する珍しい形式。
これは北の蝦夷を見張るという意味があるようだ。
古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に香取海という内海が広がっており、両神宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており[21]、両神宮はその拠点とされ、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた(後述)。鹿島神宮の社殿が北を向くことも、蝦夷を意識しての配置といわれる[22]。
鹿島神宮 – Wikipedia から引用
内部はこんな感じ。
本殿。
工事中で立ち入り禁止。
朱塗りがまぶしいほど。
高房社。
参拝前に、こちらに参拝しないといけなかったらしい(汗;)
武甕槌大神の葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が御祭神です。
古くから、まず当社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあります。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
仮殿。
遷宮の際に神様が仮住まいする場所だ。
元和4年(1617)、社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営したのです。 江戸時代は楼門を入った真正面にあり、その後2回の移動で現在の場所となりました。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
奥宮
奥参道を進み、奥宮まで行くことにした。
案内看板。
並木道が涼しい。
しかしこの日は、要石方面にはいけないようだ。
さざれ石。
御利益がありそうだ。
日の丸の石碑が建っていた。
鹿園がある。
神鹿(しんろく)として保護されている。
ロケ地の看板。
奥宮に到着。
非常に雰囲気がある。
徳川家康が奉納したそうだ。
参拝する。
現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
御手洗公園
坂道を下る。
茶屋がある。
御手洗(みたらし)という池もある。
湧水だ。
飲用できるようだ。
歌碑。
池や遊歩道が整備された静かな公園です。江戸時代までは御手洗涼泉寺がありました。
境内案内 | 鹿島神宮 から引用
戻る。
楼門まで戻ってきた。
参拝を終え、車で先に進む。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/shrines-and-temples/shrines/japanese-shrines/19563/
感想
素晴らしい神社だ。
規模も大きく、見応え満点。
今回は要石の方には行けなかったが、それでも満足感が高い。
歴史的にも素晴らしい場所で、必ず参拝するべき神社だ。
最高点の標高: 49 m
最低点の標高: -4 m
累積標高(上り): 895 m
累積標高(下り): -924 m
総所要時間: 08:15:29