月山神社とは
月山神社(つきやまじんじゃ)は、高知県幡多郡大月町才角(こうちけんはたぐんおおつきちょうさいつの)にある神社だ。
祭神は、月夜見尊(つきよみのみこと)と倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)
日本神話で、黄泉(よみ)の国を脱出した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)をした際、右の目を洗って化生した三神の第二神。天照大神の弟で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の兄。月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた。つくよみのみこと。月弓尊。
稲の精霊が神格化されたもので,五穀,食物をつかさどる。「日本書紀」では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉(いざなみの)尊の子。「古事記」では須佐之男命と神大市比売(かみおおいちひめ)の子で,宇迦之御魂神とかく。
もとは「守月山月光院南照寺」と呼ばれ、神仏混合の霊場でしたが、明治以来「月山神社」と改称されました。
月山の名は、神社のご神体が三日月形の石であり、また月弓大神を祭祀したことによって名付けられたことが起源とされています。
大月の海の護り神として、また四国八十八ヵ所番外札所として、参拝客が絶えません。
ご神体として、三日月型の石を祀る。
お堂の奥の山の斜面にあるご神体「月の石」。月山神社は飛鳥時代の陰陽師「役小角」(えんのおづぬ)がこの霊石を発見し、ご神体として月夜見命を祀ったのが始まりと云われています。 この霊石のパワーは強力で周辺の土地を常に浄化し続けていて、訪れた人の穢れも浄化してくれるので参拝者はスッキリした気持ちになって帰ることができるんだそう。
もとは神仏習合の番外霊場「守月山月光院南照寺」だったが、明治の神仏分離令で神社となった。
現在でも、四国八十八ヶ所霊場の番外札所となっている。
白鳳時代、役の行者(役小角)が山中で三日月の霊石を発見し月夜見命、倉稲魂命を奉斎したことに始まる。その後、空海(弘法大師)が巡錫し、霊石の前で二十三夜月待の密供を行ったと伝えられている。明治の神仏分離以前は「守月山月光院南照寺」と号する勢至菩薩を本尊とする寺であったが、それ以降は月山神社と改称された。
駐車場
この日は叶崎に立ち寄った。
そのあと、月山神社にやってきた。
途中の道は本当にこの道でいいのか?と何度も心配になるほど荒れた道で、運転に自信の無い人には全くお勧めできない。
実際、俺も轍にはまって車の底をこすってしまった(大汗;)
駐車場はないので、近くの道が広くなったところに車を停めた。
思ったよりこぢんまりしている。
由緒書き。
道路脇に立てられている。
神社はここから20mほど先に鎮座する。
境内
赤い鳥居。
鳥居の脇に、寄り詳しい由緒書き。
その横にある休憩所には、絵図がかけられていた。
ご神体の三日月型の石は裏山20m上に鎮座していて、ここにあるのはレプリカだという注意書きもあった。
社務所。
参拝
拝殿。
本殿はなかなか立派だ。
本殿後ろの山道の上に、ご神体が鎮座する。
台座になっているのは、化石漣痕だそうだ。
拝殿横に、大師堂。
もともとお寺だった名残だ。
1857年頃の建立とされる。
神社をあとにし、車を進める。
このあたりは景色が抜群にいい。
道も少し良くなって、一安心だ。
足摺岬側からの道は悪いので、こちら側からピストンするのがおすすめだ。
自然のままの海岸線が続く。
四国八十八ヶ所霊場の番外札所ということもあり、遍路標識が建てられていた。
車で、道の駅大月に向かった。
感想
高知でも屈指のパワースポットと言うことで期待してきたのだが、あまりの悪路に気が萎えてしまった。
本当はご神体のある場所まで山道を登っていくつもりだったのだが、拝殿で参拝しただけで済ませることにした。
あたりも暗い雰囲気で、番外札所という雰囲気もあまりない。
しかし境内はきれいに清掃されており、信心の篤さを感じられる。
強力な願い事実現力がある反面、自助努力しないと災いが下るらしいので、俺も頑張らないと(苦笑)