仁井田神社とは
仁井田神社(にいだじんじゃ)は、高知県高知市仁井田(こうちけんこうちしにいだ)にある神社だ。
祭神は、大日本根子彦布図瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
皇室系譜に第7代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)。孝安(こうあん)天皇の皇子で、母は押媛(おしひめ)。都を黒田(くろだ)(奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町)の廬戸宮(いおとのみや)に遷(うつ)して孝霊元年に即位、同2年に磯城県主大目(しきのあがたぬしおおめ)の女細媛命(むすめほそひめのみこと)を皇后とし、同76年に没して片丘馬坂陵(かたおかのうまのさかのみさざき)に葬られたという。『古事記』は、母を忍鹿比売(おしかひめ)命、皇后を十市(とおち)県主の祖大目の女とし、106歳で没したと伝える。
四万十町にある仁井田神社(高岡神社)から勧進したと伝わる。
かつては相撲が盛んで、「仁井田の相撲で待ったなし」という言葉ができたほどだったらしい。
かつては、高知市種崎地区の仁井田神社で行われた奉納相撲が、特に有名であった。橋詰延寿著『高知市史跡巡り』によると、「元和元年(一六一五)以来祭礼には浜辺で大相撲を奉納している。この大相撲に出ないと他の場所に出場できない例になっていたので、押すな押すなの盛況(略)それで、「仁井田の相撲で待ったなし」という俚謡ができたほど賑わった」と述べている。この神社には、大きな「野見宿弥相撲取り図」の絵馬があのみのすくねる。彩色は剥落しているものの、画面全体が力強さに満ちあふれている絵柄で、江戸時代中期の作品と推定されている。
高知市歴史散歩 から引用
参道に樹齢700年以上のクスノキがある。
豊かな森の中に、ひときわ天にまで聳えているかのように堂々とした姿を見せているのが大楠で700有余年の樹齢を経てきた強者です。神社の入口には二の鳥居が立ち、境内の入口までに御旅所から合計四基の鳥居が建立されています。
周囲を大きな木々に囲まれた境内は実に神寂びた良い雰囲気の神社で、入母屋造り千鳥破風付きの屋根を持つ大きな拝殿と、春日造りの本殿が、周囲の景観とマッチしてしっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせていました。
仁井田神社 から引用
御旅所
この日はかつお船でランチを済ませた。
その後、徒歩で仁井田神社に向かった。
このあたりはビニールハウスが広がり、ミョウガなどが栽培されている。
やがて「仁井田神社」と書かれた看板が見えてきた。
ここは仁井田神社の御旅所だ。
御旅所で、地元の方にお聞きした話。 昔は、東町と西町の氏子が年毎に交代でお神輿を担いでいたそうです。或る年、西町の若い衆が神輿を担いで、御旅所に向かっていたところ、にわかに激しい雷と大雨が降りだした。
「これがたまるか!」と、西町の若い衆はお神輿を道のふちに置いて、逃げて帰ってしもうた。その時、東の若い衆は、お神輿のことを聞いて「それがたまるか!」と、お神輿のところに走って行って、お神輿を仁井田神社まで担いで帰った。
それからは、西の衆が担ごうとしても、お神輿が重とうなって、どうにも上がらない。天気が荒れる。ところが、東の若い衆が担ぐと、お神輿はしゅっと上がる、天気はようなる。ということで、これから後は、東の若い衆だけがお神輿を担ぐようになった、ということです。
駐車場
住宅地を抜けていくと、鳥居が現れる。
ここは公園になっている。
さらに住宅街を進む。
仁井田神社の参拝者駐車場に到着。
かなり広い駐車場で、さらに向かい側にも駐車場がある。
境内
境内には狛犬、さらにその先に大楠が屹立する。
この大楠は樹齢700年以上、樹高32mを誇る。
手水舎。
シュロの木が境内に立つのが南国っぽい。
参拝
拝殿。
拝殿正面には、イチョウの巨木。
本殿。
摂社。
参拝を終え、参道を戻る。
喫茶ティンカーベル
仁井田神社から、十津に歩いて行く。
ポンプ場まで歩いてきた。
その向かいに、喫茶ティンカーベルがある。
駐車場もあるので、この日のランチは当初はここに来る予定だった。
さらに歩いて、仁井田公園の方に向かった。
感想
以前にも参拝したことがあるが、いつ来ても静謐な空間だ。
きれいに清掃が行き届いていて、気持ちがいい。
ご神木も立派で、拝殿や本殿も重厚。
近くに来たら、ぜひ参拝して欲しい。