綾城とは
綾城(あやじょう)は宮崎県東諸県郡綾町北俣(みやざきけんひがしもろかたぐんあやちょうきたまた)にある城址だ。
足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われ、伊東四十八城の一つ。
伊東四十八城といえば、前日に行った日知屋城も、そのひとつとされる。
築城は1331年~1334年で、別名「竜尾城」とも呼ばれる。
1615年の一国一城令により、廃城となった。
綾城のはじまりは、今からおよそ660年前の元弘年間(1331年~1334年)足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命ぜられ、その子義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構え、綾氏と称したころと考えられています。
綾氏は数代城主としてこの地方を治めていましたが、室町時代八代将軍義政のころ、都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりました。したがって、綾城も伊東氏48城の一つとなり島津氏と戦う伊東方の重要な役割を果たしました。
その後江戸時代の一国一城制度により廃止されるまでの二百七十余年、綾城は日向の国の山城のまもりとして、現在の綾城は昭和60年春日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づいた考察により想定され、戦国初期城楼建造物として構築されました。
綾城 – 綾町ホームページ から引用
駐車場
2022年4月5日、この日はファミリーロッジ旅籠屋宮崎店に宿泊していた。
そこから車で、綾城(あやじょう)にやってきた。
駐車場はとても広い。
最高点の標高: 73 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 158 m
累積標高(下り): -88 m
総所要時間: 00:44:28
桜はもうだいぶ散ってしまっている。
綾国際クラフトの城
綾城は木造の天守閣が復元されている。
入館料は350円。
しだれ桜が残っていて、ツツジと共演している。
綾町は木工品などの伝統工芸品づくりを伝承しており、「綾 国際クラフトの城」として町内の職人達の手で町内に自生するカヤやケヤキなどの銘木を使い作り上げられたそうだ。
綾町では、森林が育んだ文化を永い歳月大切に守ってきました。そのひとつが綾町のいたる所で見ることの出来る伝統工芸品づくりです。使う人の身になって制作される心のこもった絹織物・木工品・竹細工・陶器など多くの工芸品が工芸者の手によって作り継がれています。
この「綾 国際クラフトの城」は、そのような文化を後世に残すようにと、町内の職人達の手で、町内に自生するカヤ、ケヤキなどの銘木を使い、一つひとつ丹念に作り上げられました。 施設内では、この伝統工芸を多くの方に楽しんでいただくために手づくり工芸品の展示販売をはじめ、各工房の案内、工芸教室、お茶処や国外の優れた工芸品の展示を行っています。
綾国際クラフトの城 – 綾町ホームページ から引用
入口で入館料を支払う。
天皇皇后両陛下行幸記念碑。
天守閣
中門を入ると、4つの建物があるそうだ。
天守閣まで歩いてきた。
由緒書き。
昭和60年春に戦国初期城楼建造物として構築された。
柱は栂の木で樹齢280年の物だという。
ジオラマが展示されている。
階段で上に上がる。
櫓に上がる階段は、かなり急だ。
櫓からは大展望。
鴟尾(しび)と呼ばれる火除けのまじないの意味がある瓦。
鯱に似たイメージなのが、鴟尾です。 東大寺大仏殿の金色の鴟尾が有名ですね。
大棟の両端を強く反り上げる中国の建築様式から来ています。
やがて、魚の形や鯱の形へ変化していったものです。
火除け(火災除け)のまじないといった意味合いがあります。
ぐるっと一周してみた。
工芸館
工芸館に入ってみた。
木工製品などが展示されている。
綾陽校
明治21年に建てられた綾小学校の前身の綾陽校(りょうようこう)記念館。
綾小学校校舎として建築され、三度の移築を経て現在地に移されたもの。桁行二七メートルに及ぶ寄棟造桟瓦葺。外壁簓子下見板張、内部漆喰壁とし、西側に廊下を通し、東側に教室3室を並べる構成をとる。当時の標準的な小学校校舎の有様をよく示す建築である。
綾陽校記念館 文化遺産オンライン から引用
昭和63年現在地に移築された。
車で先に進んだ。
綾城
宮崎県東諸県郡綾町北俣1012