偕楽園/茨城県水戸市【日本三名園】常磐神社から周回ウォーキング

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偕楽園とは

偕楽園(かいらくえん)は、茨城県水戸市見川(いばらきけんみとしみがわ)にある日本庭園だ。

日本三名園の一つとされ、国の史跡及び名勝に指定されている。

江戸時代、水戸藩九代藩主・徳川斉昭(なりあき)によって造園されました。
「偕楽園」の名前には、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願った斉昭の想いが込められています。

日本三名園 偕楽園 から引用

偕楽園
茨城県水戸市見川1-1251
029-244-5454

駐車場

2022年10月19日、この日は永源寺(えいげんじ)に参拝した。

永源寺/茨城県大子町【もみじ寺】弁財天を祀る大子七福神巡りの七番寺
永源寺は、茨城県久慈郡大子町大子にある寺だ。もみじ寺と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。大子七福神巡りの七番寺で、弁財天を祀っている。1446年に創建された曹洞宗の寺で、本尊は釈迦如来。

そこから車で、偕楽園(かいらくえん)にやってきた。

常磐神社の駐車場に車を停める。

常磐神社
茨城県水戸市常磐町1丁目3−1
029-221-0748

自走式のゲートだ。

料金は500円。

合計距離: 54224 m
最高点の標高: 127 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 405 m
累積標高(下り): -493 m
総所要時間: 01:20:04
Download file: 20221019_大子町移動.gpx

常磐神社

まず常磐神社(ときわじんじゃ)に参拝する。

祭神は徳川光圀(とくがわみつくに)と徳川斉昭(とくがわなりあき)

義公(第2代藩主徳川光圀公)・烈公(第9代藩主徳川斉昭公)の徳をしたう多くの人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立されました。
明治6年
(1873) 明治天皇の勅旨をもって『常磐神社(ときわじんじゃ)』の御社号を賜りました。
同年、県社に列格しました。

常磐神社の由緒 | 常磐神社~水戸黄門【徳川光圀公】を祀る神社~ から引用

明治初年に創立され、明治6年に常磐神社となった。

ここから偕楽園に続いている。

「水戸のすごいものあります」の看板。

光圀公・斉昭公の遺品遺墨をはじめ、
水戸史学・水戸学関係の資料と両公の御功績を助けた
家臣の書画・関係品を展示しています。

義烈館の紹介 | 常磐神社~水戸黄門【徳川光圀公】を祀る神社~ から引用

なかなかカッコイイ本殿だ。

1958年に建てられたそうだ。

常磐稲荷神社に参拝する。

東門

東門から入る。

料金は300円。

入ってすぐの所に、土産物店がある。

全国旅行支援クーポン券が使えることを確認済み(笑)

偕楽園は100種3000本の梅が植えられている。

1842年に徳川斉昭が「領民と偕(とも)に楽しむ場にしたい」と、造園した。

この巨大な大名庭園は斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられた。

このため茨城県民は入園無料となっている。

100種3000本の梅が植えられている。

表門

表門まで歩いてきた。

黒門とも呼ばれている。

一の木戸

一の木戸。

モウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている。

高低差がある。

JR偕楽園駅の前になる。

吐玉泉

吐玉泉(とぎょくせん)まで歩いてきた。

噴水になっていて、徳川斉昭が設計したそうだ。

徳川斉昭が設計した吐玉泉数メートル離れたところに集水マスを埋め、そこから水道で導き吐出させています

吐玉泉 | 水戸の観光・名所・名物を巡ってみよう| まいぷれ[水戸市・ひたちなか市] から引用

大理石で作られている。

中門

中門まで歩いてきた。

好文亭(こうぶんてい)は、徳川斉昭により1840年に設計された。

空襲で焼失したが、1958年に再建された。

しかし別料金なので、入らず(苦笑)

偕楽園は弘道館とセットで、教育の場とされていた。

仙奕台(せんえきだい)まで歩いてきた。

車で先に進んだ。

弘道館/茨城県水戸市【特別史跡】日本最大級の藩校〜水戸城を歩く
弘道館は、茨城県水戸市三の丸にある史跡だ。1841年に作られた藩校で、日本最大級とされる。徳川光圀が編纂を始めた「大日本史」の影響を受けた「水戸学」の舞台となった。水戸城の大手橋を渡る。令和2年に復元された。水戸城は、日本最大級の土造りの城だ。
合計距離: 2242 m
最高点の標高: 25 m
最低点の標高: 14 m
累積標高(上り): 27 m
累積標高(下り): -27 m
総所要時間: 01:13:50
Download file: 20221019_水戸市偕楽園.gpx
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