高島城とは
高島城(たかしまじょう)は、長野県諏訪市高島(ながのけんすわしたかしま)にある城だ。
諏訪の浮城や島崎城、諏訪高島城とも呼ばれる。
420年ほど前の1598(慶長3)年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。
日根野織部正高吉が築城の適地とした高島は、当時諏訪湖畔に島状を呈していたと思われる場所で「浮島」とも呼ばれ、ここには主に漁業を営む村落があったことが記録に残っています。高吉はこの村をまるごと移転させて高島城を築いたといわれています。
諏訪高島城 – 諏訪市公式ホームページ から引用
高島城
〒392-0022 長野県諏訪市高島1丁目20−1
0266-53-1173
無料駐車場あり!長野県諏訪市の高島城に行ってみた!【旅行VLOG、レビュー】日本三大湖城の一つ!かつて「諏訪の浮城」と称せられた美しい城!武田信玄から諏訪氏に続く240年の栄華を偲ぶ!
セブンイレブン
2024年7月8日、この日は小坂観音院(おさかかんのんいん)に参拝した。
そこから車で、セブンイレブンに立ち寄る。
セブン-イレブン 岡谷湊5丁目店
〒394-0044 長野県岡谷市湊5丁目20−1
暑かったので、スムージーを購入。
駐車場
諏訪湖沿いに県道50号線を走る。
高島城(たかしまじょう)に到着。
駐車場は無料で、10台ほど停められそうだ。
高島公園 無料駐車場
〒392-0022 長野県諏訪市高島1丁目12
高島城の歴史
高島公園入口は、石積みのトンネルになっている。
まず案内看板でルートを確認。
高島城(たかしまじょう)は、日根野高吉により1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて築城された。
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていた。
江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。
諏訪の浮城や島崎城、諏訪高島城とも呼ばれる。
1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。
天守閣は明治に解体されたが、1970年(昭和45年)には本丸に天守などが復元され、高島公園として整備された。
入場料は310円。
天守閣
鉄筋コンクリート造りで内部は資料館となっている。
七夕飾りがあった。
天正10年(1582年)武田氏の滅亡後、甲斐国と信濃諏訪郡は織田氏の家臣・河尻秀隆が領し、諏訪郡には秀隆の家臣・弓削重蔵が配置された。
本能寺の変の後、諏訪頼忠が諏訪郡を領した。
一時転封されていたが、1601年(慶長6年)から明治維新まで諏訪氏が所領としていた。
室町時代に諏訪大社の上社と下社は対立していた。
1970年(昭和45年)に天守などが復元された。
2階は撮影禁止。
2階の展示を見た後、展望台まで上がってきた。
諏訪湖は意外と遠い。
諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」のイメージとはほど遠い。
当時は屋根が瓦葺きではなく杮葺きだった。
軟弱地盤で重い瓦が使えなかったからとか、寒冷地である諏訪では瓦は凍み割れてしまうからとか言われているが、はっきりしたことはわかっていない。
もともとこの地にあった漁村は移転させられた。
城の北側に城下町を作り、1本の道だけ通した。
富士山が見えた。
高島公園
天守閣から出てきた。
モンベルカード割引があって、200円で入場できた。
本丸は公園になっている。
日本三大湖城の一つに数えられている。
「石材を確保するため、金子城の石材は全て持ち出したほか、墓石、石仏も用いられた(転用石)」などの伝承が残る。
続日本100名城に選定されている。
本丸の石垣および北側と東側の堀が残っている。
冠木門(かぶらぎもん)
護国神社が鎮座していた。
諏訪護国神社
〒392-0022 長野県諏訪市高島1丁目20−1
0266-52-1437
三ノ丸御殿裏門。
車で先に進んだ。