旧開智学校〜松本城〜なわて通り〜中町【城下町松本ウォーキング】蔵のまち中町を歩く!なまこ壁の町並み散策ガイド【旅行VLOG、レビュー】大行列の四柱神社にも行ったよ!江戸時代にタイムスリップ!

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松本神社

2025年1月5日、この日は長野県松本市(ながのけんまつもとし)にある旧開智学校(きゅうかいちがっこう)を見学した。

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長野県松本市の旧開智学校は、1876年建築の擬洋風建築の代表作で、2019年に国宝指定。工事費の7割を住民寄付で賄い、2億円相当。同敷地内の松本旧司祭館は1889年建築のカトリック教会司祭館で、長野県宝に指定されている。

松本城が見えてきた。

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松本神社にやってきた。

松本神社
〒390-0873 長野県松本市丸の内10−37
0263-32-8514

2020年にも参拝した。

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松本の領主だった戸田光重が、寛永13年(1636年)に伯父の永兼を祀るために明石城の城内に新宮と称する社を設けたことに始まる。

その後いろいろな神社を合祀し、五柱を祀ることとなり五社と称されるようになった。

1953年に五社とその境内にあった若宮八幡宮とが合祀され、名称を松本神社と改めた。

そのため祭神は6社ぶんある。

縁結びのご利益があるとされる。

若宮八幡宮は文政8年(1825年)に社号を許された。

境内には暘谷(ようこく)水神さまが祀られ、松本城下町湧水群のひとつ松本神社前井戸かある。

もともと松本神社は暘谷大明神と呼ばれていた。

平成22年に整備された。

松本城

松本城の案内看板でルートを確認。

北アルプスが見えています。

今年は常念岳から蝶ヶ岳を縦走する予定だ。

日本百名山 アーカイブ - 仁淀川(によどがわ)〜日本一の清流

燕岳(つばくろだけ)も見えている。

松本ってきれいだよね。

松本城は国宝に指定されている5城のうちの一つである。

冬の間ライトアップされている。

松本城
〒390-0873 長野県松本市丸の内4−1
0263-32-2902

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1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、石川数正が入城し天守を始め城郭・城下町の整備を行った。

現存12天守の一つで現存最古の五重六階の木造天守。

国の史跡に指定されている。

赤い橋は埋橋(うずみばし)で、昭和30年に造られた。

天守の黒い板張りとのコントラストが美しい。

強度不足で現在は通行不可。

前回は行列ができていたが、この日は空いているようだ。

観覧料は700円。

四柱神社

松本城から松本市立博物館まで歩いてきた。

松本市立博物館
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目2−21
0263-32-0133

四柱神社(よはしらじんじゃ)にやってきた。

四柱神社
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目3−20
0263-32-1936

前回はこの向こうのバーデンバーデンという店でランチを済ませた。

四つの神様が鎮座されていることから名付けられた。

明治5年(1872年)に創設された比較的新しい神社だ。

明治12年(1879年)に現在地に社殿を造営した。

現在の社殿は大正13年(1924年)に再建されたもの。

参拝待ちの行列が長いので、諦めて先に進む。

市民の憩いの場所としても親しまれている。

なわて通り商店街

鳥居を出た女鳥羽川沿いがなわて通り商店街。

江戸時代は、総掘りと女鳥羽川に挟まれた土手でした。一本の縄を伸ばしたような真っ直ぐな道から「縄手通り」と呼ばれています。明治になり天皇ご巡幸に併せて南総掘りが埋められ「四柱神社」が建立されてから参道として賑わいました。大正時代から場所止めされ現在も365日歩行者天国です。

縄手通り | 新まつもと物語 から引用

なわて通り商店街
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目4−3 松本M―1

「四柱神社」が建立されてから参道として賑わった。

大正時代から場所止めされ現在も365日歩行者天国。

1972年にカエル大明神が通りに祀られた。

水質汚染の時期を経て、きれいな川を取り戻すシンボルとして「かえるの街」として活動している。

ここから女鳥羽川を渡って中町に向かう。

中町

中町(なかまち)は善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきた。

防火のため「なまこ壁の土蔵」が造られ、現在は「蔵のまち」としてアピールしている。

長野県松本市は400年に及ぶ城下町。
中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られ、その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。

中町について – 信州・松本 中町商店街 から引用

いい感じの街ですよね。

はかり資料館がある。

明治35年創業の竹内度量衡店を松本市が借り受け一部改装し資料整理をして開館した。

蔵シック館。

明治21年に建築されたと伝えられ、元酒蔵の土蔵作りや、豪快な吹き抜けの木組みを楽しめる多目的スペースとして無料開放されている。

隣接して喫茶店もある。

コーヒーラウンジ 紫陽花

なわて通り商店街に戻ってきて、若返りの水を発見。

四柱神社の参拝行列はまだまだ続いている(汗;)

松本城近くの喫茶店に入った。

コーヒーラウンジ 紫陽花
〒390-0874 長野県松本市大手3丁目8−11
0263-35-5533

アップルパイを注文。

リンゴがゴロゴロ。

焼きリンゴです。

二の丸御殿跡

松本城に戻ってきた。

黒門を抜けて旧開智学校に戻ることはできない。

堀を回って戻ることにした。

松本城は93,000平方m。

美ヶ原が見えている。

太鼓門。

平成11年に復元された。

二の丸御殿跡。

敷地は約1,900坪(6,270平方メートル)、建坪は約600坪(1,980平方メートル)、部屋数は約50あった。

明治になり筑摩県庁として使われていたが、明治9年(1876)に全焼した。

旧開智学校に戻ってきた。

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