ビッグポイント(高知県高知市)でランチ ⇒ 若一王子宮〜ビッグポイント〜石立八幡宮〜本宮神社〜旭浄水場〜徳弘董斎生誕地

スポンサーリンク

ビッグポイントとは

レストランビッグポイントは、高知県高知市上町(こうちけんこうちしかみまち)にあるレストランだ。

スズキをスタート

この日は自宅を車で出発し、スズキにやってきた。

裏通りを入っていく。

江ノ口川(えのくちがわ)を渡るが、子供の頃と比べて随分きれいになった。

廃液で汚染された高知市の江ノ口川。魚は死んで浮き上がり、住民は悪臭や健康被害に悩まされた。そこへ立ち向かったのが工作機械会社の社長だった山崎圭次さん(故人)。「浦戸湾を守る会」会長として会社に抗議、行政にも訴えたが事態は改善しなかった。1971年5月31日には会社側が会談を拒否すると通告。「実力行使」に出たのはその9日後のことだった。

高知)公害との闘い、資料出版へ 高知パルプ生コン事件:朝日新聞デジタル から引用

以前子供を通わせていた空手道場の前を通って懐かしかった。

若一王子宮

若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)に到着。

若一王子宮 ⇒ 首洗い鉢のたたり伝説も伝わる場所
若一王子宮とは 若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)は、高知県高知市山ノ端町(こうちしやまのはちょう)にある神社だ。 祭神は若一王子、つま...

夫婦杉が立つ。

霊木とされ、縁結びや子授け、夫婦円満、不老長寿に御利益があるとされている。

立派な社殿だ。

無料のおみくじがあったので引いてみた。

首洗い鉢(くびあらいはち)が据え付けられている。

現在、吉良神社の祠の前には、自害した親実の首級を洗った手水鉢が残されている。そして恨みを含んで死んだ親実と、その後を追って殉死した7名の家臣は祟り神となって長宗我部家に災いしたとされる。高知では今なおその伝説は“七人みさき”として生きており、大きな事故が起こると「七人みさき様の祟り」とまことしやかに噂されるという。

吉良神社 首洗い鉢 | 日本伝承大鑑 から引用

八坂神社に参拝。

ビッグポイント

ふたたび電車通りに戻ってきた。

ビッグポイントに到着。

今日の日替わりは鰹の煮付け、と黒板が出されている。

階段の脇に食品サンプルも出されていて、分かりやすい。

店内はテーブル席が並ぶ、いかにも昭和の雰囲気(笑)

トイレは和式便器を改造して洋式の温水便座になっている。

今回は日替わりランチをオーダーした。

食後のコーヒー付きで650円はお得感がある。

石立八幡宮

食後、鏡川(かがみがわ)の新月橋(しんづきばし)まで歩いてきた。

新月橋を渡り、石立八幡宮(いしだてはちまんぐう)に到着。

石立八幡宮 ⇒ 長宗我部元親が崇拝した神社
石立八幡宮とは 石立八幡宮(いしだてはちまんぐう)は、高知県高知市石立町(こうちしいしだてちょう)にある神社だ。 祭神は品陀和気命(ほむ...

大国様が多数供えられている。

鏡川河川敷

鏡川の河川敷まで下りてきた。

堰は魚が遡上できるルートが確保された造りになっている。

鏡川橋まで歩いてきた。

本宮神社

本宮神社(ほんぐうじんじゃ)までやってきた。

本宮神社 ⇒ きらびやかな朱塗りの拝殿に八咫烏が降臨
本宮神社とは 本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は、高知県高知市本宮町(こうちしほんぐうちょう)にある神社だ。 祭神は伊邪那美大神(いざなみの...

ここに八頭神社(やがしらじんじゃ)も鎮座する。

鴻森で長宗我部と戦った武将が祀られている。

鴻ノ森(高知県高知市)ハイキング ⇒ 本山氏と長宗我部氏が雌雄を決した古戦場は大展望
鴻ノ森とは 鴻ノ森(こうのもり)は、高知県高知市蓮台(こうちけんこうちしれんだい)にある山だ。 標高は300m。 戦国時代にはこの場所...

拝殿。

旭浄水場

レトロな建物があった。

現在は公民館として使われているようだ。

旭浄水場(あさひじょうすいじょう)まで歩いてきた。

歴史的施設群まで歩いてきた。


ルネッサンス様式のレンガ造りの送水所や事務所棟、計量所などが集約した形で残されている、全国的にも貴重な水道施設群

旭浄水場の一連の歴史的施設群 | 土木学会 選奨土木遺産 から引用

ここには入れないそうなので、隣の公園に向かう。

児童公園になっていた。

ここから歴史的施設群がよく見える。

徳弘董斎生誕地

徳弘董斎(とくひろとうさい)生誕地に到着したが、周囲は下水道工事の真っ最中。

徳弘董斎は砲術士で、坂本龍馬や武市半平太の師匠だ。

孝蔵は代々土佐藩の御持筒役を勤める家に生まれた。9歳の時には島田流砲術師範松木重右衛門に入門した。長じてからは、12代藩主豊資の命により高島流砲術の下曽根信敦のもとへ入門した。半年後には免許皆伝となり、土佐初の洋式砲術家となった。帰国後は、仁井田浜などで砲術の伝習を行い、多くの人の藩士が門人となった。孝蔵は南画にも優れており、薫斎の号で秀作を残している。武市半平太などは砲術・絵画両方の弟子だった。

徳弘孝蔵(董斎)邸跡 | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」 から引用

名前が徳弘孝蔵なので、とても他人とは思えない(笑)

感想

とてもおいしかった。

日替わりランチがコーヒー付きで650円という激安価格なのが嬉しい。

他にもメニューが豊富にあり、どれも価格が手頃でコーヒー付き。

ぜひ次は別のメニューも頼んでみたい。

合計距離: 8188 m
最高点の標高: 24 m
最低点の標高: 5 m
累積標高(上り): 117 m
累積標高(下り): -117 m
総所要時間: 02:56:41
Download file: 20201207_高知市.gpx
スポンサーリンク