木落し坂
2024年7月4日、前日は開田高原のやまゆり荘で御嶽山を見ながら温泉に入った。
この日は塩尻市から国道20号線で岡谷市に入る。
お天気が良く、八ヶ岳や諏訪湖が美しい。
国道142号線の旧道に入る。
湖北トンネルは2022年に無料開放された。
湖北トンネルを抜けてすぐに、国道142号線に折れる。
木落し坂に到着。
木落し坂は、諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)で、御柱を落とす場所だ。
七年に一度執り行われる「御柱祭」では、直径約1m、長さ約17m、重さ約10t 以上にもなる樅の巨木を山から曳き出し、諏訪大社四宮の社殿の四隅に建てます。この勇壮な祭りの前半、山出しのクライマックスが「木落し」で、ここ「木落し坂」はその舞台です。氏子たちがまたがった巨木が、傾斜35度長さ100mの急坂を一気に曳き落とされる様は「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」とうたわれるように勇壮そのものです。
木落し坂(下社)
〒393-0008 長野県諏訪郡下諏訪町町屋敷2111
和田峠は標高1,531m中山道1番の難所!和田宿を歩く!【旅行VLOG、レビュー】諏訪大社御柱祭の御柱「木落し坂」〜本陣〜黒曜石資料館〜脇本陣〜道の駅和田宿ステーション
長さ約17m、重さ約10t 以上にもなる樅の巨木を、この坂から落とす。
「木落し」と呼ばれるこの行事が、最大の見せ場になっている。
御柱祭は、申年、寅年に行われる。
数え年で「七年目」という表記になっている。
御柱の見本が置かれていた。
傾斜35度、長さ100m。
この道が旧中山道だ。
ここを落とした後、下社に曳かれていく。
和田宿
木落し坂を出発。
佐久方面に向かう。
美ヶ原が見える。
道の駅 和田宿ステーションを通過。
最初の信号を曲がったところが、和田宿(わだじゅく)だ。
最高点の標高: 1387 m
最低点の標高: 694 m
累積標高(上り): 1041 m
累積標高(下り): -1002 m
総所要時間: 01:12:01
和田宿(わだしゅく)は、中山道28番目の宿場だ。
和田宿は慶長七年(1602)中山道の
設定により開設されました。
和田峠を越えて下諏訪宿までの五里あまり (約22km)の道筋は、慶長十九年(1614)ごろ
完成したといわれています。
中山道和田宿 から引用
本陣駐車場は舗装されていないが、10台ほど停められそうだ。
中山道 和田宿 本陣
〒386-0701 長野県小県郡長和町和田2854−1
0268-88-2348
無料なのが嬉しい。
和田峠は中山道最大の難所とされる。
和田峠(わだとうげ)は、中山道(中仙道)の峠で、長野県小県郡長和町と諏訪郡下諏訪町の間にある。最大標高1,531m。
和田~下諏訪間は五里十八丁(約22km)
和田宿は標高820mで、和田峠は標高1,531m、標高差は711mもある。
高低差があるので、かなりの難所だったことが伺える。
本陣にやってきた。
1861年の大火で焼失したが、皇女和宮降嫁のためただちに再建された。
この門は平成に復元されたもの。
共通観覧料は300円。
和田宿は1602年に中山道整備のため新設された。
当初は「中仙道」だったが、東山道のうちの中筋の道ということで、享保元年(1716)に「中山道」と改められた。
江戸日本橋から28番目の宿場となる。
宿の長さは870m、人数522人、家数126軒。
和宮通行の際は4日間で延べ8万人が通ったそうだ。
本陣
内部はこんな感じ。
和宮下向日程が掲示されていた。
1万人ではなく8万人です。
和宮も使った?
ギックリ腰おばあ。
街並み
蕎麦屋のようだ。
大黒屋。
内部を見学できる。
かわちや。
穀物商だったそうだ。
バカです。
黒曜石資料館
黒曜石資料館にやってきた。
黒曜石(こくようせき)は、マグマの一部が急速に冷え固まってできた火山岩。
別名天然ガラスといわれる。
旧石器時代から縄文時代を通じ、弥生時代に鉄が伝わるまでさまざまな道具の主要な材料だった。
なんと北海道でもここの黒曜石で作られた石器が見つかっている。
4階は林業資料館。
脇本陣
脇本陣にやってきた。
2軒あったそうだ。
大名がかち合った際に、本陣として使われた。
鍵がかかっていて、見学はできないようだ。
萱葺き屋根の集落と、石置屋根の集落とがあるそうだ。
道の駅 和田宿ステーション
道の駅 和田宿ステーションにやってきた。
和田宿ステーション食堂
〒386-0701 長野県小県郡長和町和田2884−1
0268-88-0010
以前、ここに立ち寄ったことがある。
店内はこんな感じ。
弘長寺(こうちょうじ)で買ったブルーベリーと比較(笑)
ここでランチ。
おばあは天ざる蕎麦1,000円。
おじいは刺身定食1,100円。
車で先に進んだ。