安楽寺とは
妙色山(みょうしきざん)金性院安楽寺(あんらくじ)は、高知県高知市洞ヶ島町(こうちしほらがしまちょう)にある真言宗豊山派の寺だ。
本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)
延喜年間(901-923)に菅原道真(すがわらのみちざね)の長子である菅原高視(すがわらの たかみ)が配流先の土佐国潮江高視の里で菅原道真逝去の知らせうけて当地に天満宮を建立するに際し、筑紫の菩提寺の安楽寺にちなんで建立した寺とされる。
明治の廃仏毀釈によって廃寺となったが、1875年に常宝上人によって再興された。
実は安楽寺は、再興の時から1993年まで四国八十八ヶ所霊場の第30番札所だった。
現在の第30番札所は、高知市一宮にある善楽寺(ぜんらくじ)だ。
この第30番札所の座をめぐって長い間善楽寺と揉め、第30番札所が2ヶ所ある事態となっていた。
元々お遍路さんが認知いていた第30番札所(相当のもの)は土佐神社であり、そのお世話をしていたのが善楽寺(=別当寺)。 明治になり神仏分離令が出されると、善楽寺/安楽寺共に明治の神仏分離令によって廃寺となる。
30番の御本尊・お大師さまは29番国分寺に預けられ、札所機能は29番が兼務という形になった。
明治8年安楽寺は復興。
29番国分寺に預けてあった30番札所の御本尊さまを受け取り、30番札所は復興した。
昭和5年埼玉県のとある寺院を移転する形で寺格を取り戻し、国分寺に預けてあった大師像を移して善楽寺が復興した。
以後、30番札所が2つ存在することとなり、その正当性を巡って論争となった。
1994年からは第30番札所は善楽寺と決められ、安楽寺はその奥の院とされた。
外観
この日はまず小津神社に参拝した。
安楽寺は小津神社のすぐ近くなので、徒歩で安楽寺に向かった。
外塀は風情がある。
鐘楼門の横から駐車場に続く。
確かに土佐一ノ宮と書かれている。
境内
多宝塔。
多宝塔の前に、不動明王。
境内の様子。
納経所。
町中のお寺だが、意外と広い。
長谷寺の碑。
多くの仏像が並ぶ。
この日は2019年4月25日、芍薬がきれいだ。
参拝
本堂。
コンクリート製の大きな建物だ。
本尊の阿弥陀如来は寄木造りの座像で、鎌倉時代のもの。
扁額。
本尊の左に薫的(くんてき)大和尚の額が掛けられているのが、土地柄だろうか。
本堂左手に、賓頭盧(びんずる)様。
悪い部分をさすってから賓頭盧様の同じ部分をさすると、悪いものを引き受けてくれると伝わる。
大師堂。
正面から見ると、こんな感じだ。
大師堂は木造だ。
境内を回る
大師堂の右に進む。
かえるの置物が供えられていた。
智薫観音。
こちらはだるまが大量に供えられている。
さらに石仏が並ぶ。
本堂裏手の坂道を上がる。
坂の上には祈祷所。
そして轟大権現。
参拝を終え、薫的神社に向かう。
感想
昔のまだ第30番札所だったころのことは記憶にないのだが、当時からこのあたりは高知市の中心街として住宅が建ち並ぶ場所だった。
そのなかで廃寺から復興してこれだけの大きな寺を建てられたのは、信仰の篤さだろう。
今では奥の院としてひっそりとたたずんでいるので、静かに参拝したい時には最適の場所だ。