歴史の旅-木曽路の入口に置かれた関所に入ってみた!中山道33番目の宿場、贄川宿を観光!【旅行VLOG、レビュー】国の重要文化財に指定されている深澤家住宅や観音寺、御柱が立つ麻衣廼神社などを見てきたよ!

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贄川宿とは

贄川宿(にえかわじゅく)は、長野県塩尻市大字贄川(ながのけんしおじりしにえかわ)にある中山道33番目の宿場だ。

木曽11宿の最初の宿場だ。

贄川宿は関所が置かれるなど木曽の北の守り神として重要な位置にありました。宿場の中心に嘉永7年建築の深澤家住宅は、平成17年に国の重要文化財に指定され、 贄川駅より南へ1km進んだところにある贄川のトチは推定樹齢600年以上と言われ県の天然記念物に指定されてます。

中山道 贄川宿 | 塩尻市観光協会 から引用

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関所

2024年5月3日、前日は霧訪山(きりとうやま)に登山した。

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この日は、中山道贄川関所・木曽考古館にやってきた。

5、6台停められそうな駐車場が用意されている。

中山道贄川関所・木曽考古館
〒399-6301 長野県塩尻市大字贄川1568番地1
0264-34-3002

明治初年に取り壊されたが、昭和51年に古図をもとに復元され一般公開されている。

由緒書き。

入館料は300円。

撮影OK。

宿の延長が4町6間。

この先は尾張藩の所領となる。

ここから木曽路ということ。

木曽福島関所の副関として幕府から指定された贄川番所が置かれていた。

特に「入鉄砲に出女」は厳しく取り締まっていた。

古くは温泉があって「熱川」と書かれたが、温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。

1334年頃、讃岐守家村が関所を設けた。

木曽谷の北関門として、軍事的にも重要な役割を果たしていた。

関所の地下は、展示施設になっている。

「木曽」の語源は、生糸など純粋の意味の「き」と、麻を植えて布を作っていたので苧麻(ちょま)の古語の「そ」を当てたという説がある。

メロディ橋

国道19号線から関所に渡ってきた橋は、メロディ橋と呼ばれている。

欄干は街道の切り絵になっている。

平成2年に国土交通省の手づくり郷土賞を受賞した。

関所橋(せきしょばし)というのが正式らしい。

ここから馬籠宿まで木曽11宿が始まる。

モダンなモニュメントが設置されている。

メロディ橋には木曾節を奏でる鉄琴が設置されている。

今からおばあが演奏します。

取り壊す予定だそうで、ちょっと残念。

中山道

旧中山道を歩いて行く。

贄川の集落は、昭和5年に起きた大火で大半が焼失した。

本陣跡まで歩いてきた。

ボツボツ、それっぽい感じの建物が残っている。

国の重要文化財に指定されている深澤家住宅。

贄川屈指の商人だった。

母屋は1851年の再建。

蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財に指定されている。深澤家は加納屋を屋号とする贄川屈指の商家で、主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)に建築されたものである。

贄川宿 – Wikipedia から引用

観音寺

JRの線路を渡る。

観音寺(かんのんじ)にやってきた。

慶長二年(1597年)本山京都智積院より、珍永僧都来たり創立。在住二十三年、元和元年6月遷化。寛永十年(1633年)大火にて重要記録等焼失。その後、第三世圓雄から第五世貫翁により万治二年(1659年)に再建。貫翁、本山一臈に昇進、金剛王院流の祖をなし寛文元年(1661年)当山在住三年にして水沢に閑居し毎日三度の修法に勤めた、元禄七年に八十三歳にて入滅。弟子、恵密・珉山・幸弁・寛興・翁淳・寛明らにより、安永二年(1773年)再建し、寛政元年(1789年)には現在の山門が建立された。

観音寺 から引用

観音寺
〒399-6301 長野県塩尻市贄川1423
0264-34-2530

大同元年(806年)に創建したと伝わる高野山真言宗の寺だ。

山門は寛政元年(1789年)に建立された。

塩尻市指定有形文化財に指定されている。

坂上田村麻呂将軍の開創と伝わる。

観音寺境内により約四・五丁奥、田村麻呂将軍、東国征定途上、その軍功成来の所願の為にこの地を守り、本尊の兜観音祀り戦勝祈願し大勝し凱旋、報恩を謝し一字建立。これが後の観音寺の基となる。

観音寺のご由緒 | 観音寺 から引用

本堂は安永4年(1775)に再建された。

歓喜天堂。

本尊は十一面観音。

舗装されていないが、広い駐車場がある。

麻衣廼神社

奥に麻衣廼神社(あさぎぬのじんじゃ)が鎮座する。

「麻衣」は木曽の枕詞。

木曽地方では麻衣が盛んな地域で、「木曽の麻衣」として中央にも広く知られ”麻衣廼”として木曽の枕詞にもなり和歌でも詠まれ、当社の境内が木曽の地であることを示しています。

麻衣廼神社(塩尻市) から引用

文禄年間に現在地に再建された。

祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、保食命(うけもちのみこと)。

本殿は塩尻市指定有形文化財。

平安時代の天慶年間(938~947年)に諏訪坂東に信濃国(現在の長野県)一宮である諏訪大社の分霊を勧請されたのが始まりと伝えられている。

1865年に再建された。

観音寺の鎮守だ。

御柱(おんばしら)が立っている。

木曽路の中では最古の諏訪系の神社とされる。

寅年と申年に例祭である御柱祭りが行われる。

安永5年(1798年)に行われたとの記録がある。

「是より南 木曽路」の碑

マンホールは関所だ。

車で移動し、「是より南 木曽路」の碑にやってきた。

ここは国道19号線から少し入った旧中山道。

ここから南が、木曽路とされる。

是より南 木曽路 の碑
〒399-6301 長野県塩尻市贄川
0263-54-2001

車で先に進んだ。

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本山宿は中山道32番目の宿場で、日出塩桜の丘公園や旧中山道などの名所がある。公園には10種類の桜が植えられ、本山宿には国の登録有形文化財である建物が並んでいる。また、本山宿は尾張藩木曽との境であり、そば切り発祥の地としても知られている。
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