高須コスモス畑
2025年12月11日、この日は高知県高知市(こうちけんこうちし)にある「みもと」でランチを済ませた。
食事を終え高須コスモス畑にやってきた。
約10haもあるという。
コスモスを見ながら歩いて行く。
高須コスモス畑
〒781-8123 高知県高知市高須
五台山の絶景スポット完全ガイド!【高知県観光】必ず立ち寄りたい!牧野植物園カフェと竹林寺の紅葉が美しすぎた【旅行VLOG、レビュー】高須コスモス畑から竹林寺まで絶景散策コース!遍路道を歩く!
牧野植物園
五台山(ごだいさん)に向かう。
大丈夫か?
Googleマップだとこんな道を案内されることがある。
無事に?普通の道に出た。
どうなることかと思った。
この道は車両通行止め。
しかし遍路道なので歩行者は通ることができる。
竹林が広がる。
五台山には竹林寺がある。
巨木発見。
遍路道沿いにミニ四国八十八ヶ所霊場がある。
牧野植物園を通り抜ける。
本来なら入園料がかかるが遍路は通り抜けられる。
蛇発見。
高知の山は冬でも要注意。
牧野植物園は牧野富太郎を記念して作られた植物園。
NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」で牧野富太郎が主人公となったことで注目を浴びた。
来場者も増え新しい建物が続々と建てられている。
この建物も2023年5月にオープンしたばかり。
1階は研究棟、2階はレストランになっている。
レストラン「C.L.GARDEN(シーエルガーデン)」でコーヒータイム。
ケーキセットでおじいはナッツのタルト。
おばあはリンゴのケーキ。
固い。
ナイフが欲しいね。
おばあのリンゴのケーキをもらった。
竹林寺
カフェを出て外に出てきた。
竹林寺(ちくりんじ)の第二本坊を建設中。
竹林寺は最近建設ラッシュ。
四国八十八ヶ所霊場第31番札所。
五台山金色院竹林寺(ごだいさんこんじきいんちくりんじ)と号する。
紅葉の名所として知られる。
結婚式の前撮りをしていた。
仁王門。
仁王像は貞享三年(1686)の作。
仁王門は明治33年の再建。
この参道が紅葉がきれいだ。
高知の紅葉情報をテレビで取材するときはここでロケすることがほとんど。
本尊は文殊菩薩。
わが国に現存する文殊五尊像の中で最古。
切戸(きれと)文殊、安倍(あべ)文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。
本尊は秘仏だ。
広い庭園がある。
参拝を済ませ五台山の山頂に向かう。
五台山
五台山の山頂まで歩いてきた。
テレビ塔があるため本当の山頂には行けない。
レストハウスがあったが老朽化のため取り壊された。
新しい建物を建設中。
野球場のようなスリバチ形の建物のようだ。
展望台に上がってみる。
ここから浦戸湾(うらどわん)の大絶景。
その向こうに太平洋も見える。
反対側には梶ヶ森(かじがもり)などの山並み。
ここから下りていく。
紅葉のトンネルになっているわ。
途中に伊達兵部(だてひょうぶ)の墓がある。
独眼龍政宗として知られる伊達政宗の子で、お家騒動でこの地に流されて没した。
兼山神社まで歩いてきた。
江戸時代の土佐藩家老だった野中兼山(のなかけんざん)を祀る。
大規模な土木工事を多数行って土佐藩の繁栄に大きく寄与した。
しかし妬まれ、晩年は失脚してしまう。
そのため野中兼山を祀る神社は「春野神社」と称することが多い。
「兼山神社」と名付けられた神社は近年に建立されたものだ。
「亜細亜開発(あじあかいはつ)」の碑がある。
隣には「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」の碑。
世界の平和を祈念し、平和な世界建設のために努力することを誓って建立された。
高知市内の五台山の登り口にある、兼山神社の境内にあります。
「亜細亜開発」碑は1971年(昭和46)、「天壌無窮」碑は1983年(昭和58)に建立されました。
「亜細亜開発(あじあかいはつ)」と「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」の碑(いしぶみ) – 修養団捧誠会高知支部 から引用
拝殿。
吸江病院が建っていた場所に建立された。
山崎豊吉像。
米穀肥料商に養子に入り農家と連携して発展させた。
<山崎豊吉>
場所: 高知市吸江(五台山の登り口途中)
竣工: 1960<昭和35>年7月
作者: 鈴木基弘(原型制作)
土佐神社離宮
五台山を下りると浦戸湾に架かる青柳橋(あおやぎばし)に出る。
国分川(こくぶがわ)沿いに歩いて行く。
土佐神社離宮にやってきた。
土佐神社は高知市一宮(いっく)にある神社。
土佐国一宮だ。
おじいは「しなね様」と呼んで子供の頃は大祭に行くのが楽しみだった。
ここはその御旅所。
祭神は味鋤高彦根神、一言主神。
絶海中津(ぜっかい ちゅうしん)の碑がある。
南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧で明に渡海して学んだ。
帰国した絶海中津は次第に将軍足利義満と対立し都を逃れこの地に吸江庵を再興した。
足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、多くの有力な守護大名、また朝廷においても伏見宮栄仁親王らの帰依を受けた人物で、その存在は当時の仏教界でも大きく、義堂と並んで臨済宗夢窓派の発展に寄与したということで評価は高い。 四六文の作法を明から日本へ伝え、五山禅林に流布させた[1]。
絶海中津 – Wikipedia から引用
この川は絶海池(ぜっかいけ)と名付けられている。
絶海池に架かる大谷橋を渡る。