三津の渡し
この日は港山城跡まで歩いてきた。
三津の渡し(みつのわたし)に到着。
現役の渡し船が発着する。
小さな船が往来している。
この渡しは市道高浜2号線の一部として、松山港内港地区の三津と港山の間約80mを結ぶ渡船で、年中無休・無料で年間約4万人の方が利用しています。
その起源は室町時代にまでさかのぼり、港山側にあった港山城への物資輸送や三津浜側にあった洲崎の浜に毎朝食料を調達するため利用したのがはじまりであり、また、江戸時代の俳人小林一茶も句会に参加するため乗船したと言われています。最近では、映画「がんばっていきまっしょい」にも登場しました。
生活の足として地域住民に愛されるとともに、最近はTVや雑誌等で紹介されるようになり、観光スポットとして松山を訪れた方々にも港町の風情を楽しんでいただいています。
自転車の乗船もできますので、どうぞお気軽にご利用ください。
とても風情があり、じっくり眺めた。
背景には石鎚山。
湊三嶋大明神社
湊三嶋大明神社に向かう。
桜が美しい境内。
参拝する。
河野道春(こうのみちはる)を祀っている。
往古、湊山に鎮座し、御津大明神とも湊大明神とも称した。聖武天皇神亀5年8月勅詔によって国司小千宿弥玉興、玉純父子が、伊予九四郷に一社宛、大三島大明神を勧請のとき、此の湊山に勧請し、本郷一宮と称えた。
文治2年河野四郎通信が湊山に築城のとき、当社を山の南麓に奉遷した。文永、弘安年中蒙古襲来のとき河野通有、同通純は水田三反を献じて武運長久を祈り、元弘3年9月河野伊予守通能は神殿を修理し、北條太夫越智親孝、同新太夫越智親経は此の地に別亭を構え、その祖、饒速日命、伊予王子等の神霊を祭祀した。河野通春、同通篤は湊山に居城して尊崇篤く、文明年の足利勢と合戦死後の霊を祀った。
慶長年間加藤左馬守嘉明は社殿を修理し松平隠岐守が藩主となっては御用船出入り安全海路守護神として尊崇し、社殿を修理、毎例祭には代参があった。また、往古より住民ならびに航海を業とする者等、大綿津見命、速秋津神等を奉斎し伊予の熟田津、成田津、秋田津の総守護神、三津大明神と称して尊崇し、湊大明神とも称え、後に湊三嶋大明神社と称した。
湊三嶋大明神社 « 愛媛県神社庁 から引用
梅津寺海岸
梅津寺海岸(ばいしんじかいがん)に出る。
夕日が美しい。
線路がすぐそこにある。
突堤まで歩いてみた。
海岸沿いに戻る。
喫茶店まで戻ってきた。
夕日を背景にして走る伊予鉄道。
旅籠屋に戻り、しばしウッドデッキで夕日を楽しんだ。
感想
とても気持ちのいいウォーキングになった。
渡し船は高知にもある。
同じように一般道路として無料で渡れる渡船は、なんだか懐かしい感じになるから不思議だ。
湊三嶋大明神社もきれいに維持されていて、信仰の篤さを感じた。
そして夕日の素晴らしさは格別。
しばし見入ってしまったほどだ。
梅津寺、いいところじゃないか。
最高点の標高: 14 m
最低点の標高: 0 m
累積標高(上り): 113 m
累積標高(下り): -115 m
総所要時間: 01:47:08