梅津寺ウォーキング(その2) ⇒ 見晴山〜梅津寺〜港山城跡

坂の上の雲

見晴山

この日は旅籠屋松山店にチェックインし、伊予鉄道梅津寺駅を見学した。
太山寺から車で、旅籠屋松山店にやってきた。安定のクオリティ。手頃に泊まれて、定宿状態だ(笑)新型コロナウイルスのせいでみきゃんパークと梅津寺公園が閉館中だったのは残念。実は「東京ラブストーリー」以後で、梅津寺駅にやってきたのは初めてだ。そのせいで世代的に感激だった。
梅津寺駅から線路沿いに旅籠屋に戻ってきた。 ここから坂道を上がっていくと、見晴山(みはらしやま)がある。
観光・沿線おでかけ | 梅津寺公園 | 伊予鉄梅津寺駅から徒歩3分のところにある見晴山では、秋山兄弟銅像が見られます。駅を出たところに案内板が出ていますので、是非たずねてみてください。
観光・沿線おでかけ | 梅津寺公園 | 伊予鉄 から引用
秋山好古(あきやまよしふる)、秋山真之(あきやまさねゆき)の銅像に到着。
秋山好古 - Wikipedia秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。通称は信三郎。予備役編入後は郷里の愛媛県松山市に戻り、私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)の校長を死去の半年前まで務めた[1]。 陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞された。日本騎兵の父と呼ばれている[2]。
秋山好古 – Wikipedia から引用
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で有名だ。
「坂の上の雲」 作品紹介とあらすじ日本騎兵を育成し、中国大陸でロシアのコサック騎兵と死闘をくりひろげた秋山好古。東郷平八郎の参謀として作戦を立案し、日本海海戦でバルチック艦隊を破った秋山真之。病床で筆をとり続け、近代俳諧の基礎を築いた正岡子規。この三人を中心に、維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、その明治という時代を生きた「楽天家達」の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説。1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)までの 約4年間、産経新聞夕刊に連載された。また、2009年から3年間、NHKでスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映される。
「坂の上の雲」 作品紹介とあらすじ から引用
しかしこの先の橋は通行止めになっていた。 道を戻り、線路沿いに歩いて行く。 砂浜には、誰もいない。 みかん色の列車が通過。
梅津寺ウォーキング ⇒ 旅籠屋松山店〜みきゃんパーク〜梅津寺公園〜伊予鉄梅津寺駅〜見晴山〜梅津寺〜港山城跡〜三津の渡し〜湊三嶋大明神社〜梅津寺海岸

梅津寺

海岸を離れ、道路を歩いて行く。 見晴山に戻っていく。 梅津寺(ばいしんじ)に到着。
じゅんのつぶやき  「松山市の地名・町名由来」・ 「梅津寺町・安城寺町」 2”梅津寺”という地名の由来となった人物は、中国の名僧といわれた”雪广禅師”(せっけんぜんじ)(1649年~1708年)で、延宝5年(1677年)に長崎興福寺の招きで来日され、その後に松山藩主”松平貞直”(まつだいら さだなお)の招きで松山に来られた名僧です。 その時、黄檗宗(おうばくしゅう)”千秋寺”四代目(”千秋寺”は、道後村めぐり23番に指定されている、道後地区にあるお寺)の住職となり、その後元禄13年(1700年)に千秋寺を去り、”梅津寺”を創建されました。 この地が中国の郷里、”梅津”に似ているところから”梅津寺”と名づけたことが記録に残っています。 松山でも、町名由来を遡れば中国の地名であったという例は恐らくないのではないでしょうか。 一時、この寺は廃れていましたが、昭和13年(1938年)に、この地に海水浴場を開設するに当り、現在地に再建されたものです。 この寺には現在、松山市指定有形文化財(工芸品)の”梅津寺の鐘”が残されています。
じゅんのつぶやき  「松山市の地名・町名由来」・ 「梅津寺町・安城寺町」 2 から引用
開祖の祠にも参拝する。

港山城跡

マリーナを通過。 ここで行き止まりだったので、道を戻って山を迂回することにした。 港山城跡(みなとやまじょうあと)に到着。
港山城 - Wikipedia港山城(みなとやまじょう)とは伊予国、現在の愛媛県松山市港山の、海に面する西側の小丘陵に築かれた河野氏の河野水軍が拠点にした日本の城(山城)。湊山城とも書かれた。 三津の港を見下ろす丘の上にあり、港の警護と監視、有事の際に軍船で出撃するにはうってつけの立地であったと思われる。東西に細長く本丸と二の丸が伸びていた。現在は整備されていて面影はないが、かつては海岸線が入り組んでいて島のような状態であったという。
港山城 – Wikipedia から引用
ここに、洗心庵という風情のある建物があった。 小林一茶と関係があるようだ。
洗心庵跡(松山市) | おすすめスポット - みんカラ寛政7(1795)年、1月15日、俳諧師小林一茶が松山に来遊し、20日ばかり滞在し2月5日三津浜の方十亭を宿にし、9日小深里(現在の港山町)の洗心庵に俳友を集めて句会を催し下記の4つを詠みました。
「汲みて知るぬるみに昔なつかしや」
「にな蟹と成て女嫌れな」
「山やく山火と成りて日の暮るゝ哉」
「梅の月一枚のこす雨戸哉」 なお、洗心庵は、徳川中期より代々尼僧が住んでいた尼寺でしたが、明治5(1872)年、廃仏毀釈により廃寺になりました。 港山城登城口付近に石碑が建っています。
洗心庵跡(松山市) | おすすめスポット – みんカラ から引用
先に向かう。
愛媛県松山市の梅津寺をウォーキング。その3では、三津の渡し〜湊三嶋大明神社〜梅津寺海岸と歩いた。とても気持ちのいいウォーキングになった。渡し船はなんだか懐かしい感じになるから不思議だ。湊三嶋大明神社もきれいに維持されていて、信仰の篤さを感じた。そして夕日の素晴らしさは格別。

感想

歴史に彩られた場所を巡った。 坂の上の雲を読んで日清戦争、日露戦争で活躍した秋山兄弟に興味を持っていたが、本を読んでからこの地を訪れたのは初めてだ。 感慨深い。 梅津寺に参拝したのも港山城跡に行ったのも初めてだ。 まだまだ行くべき場所は多い。
合計距離: 5722 m
最高点の標高: 14 m
最低点の標高: 0 m
累積標高(上り): 113 m
累積標高(下り): -115 m
総所要時間: 01:47:08
Download file: 20200415_松山市梅津寺.gpx