野麦峠 お助け小屋とは
野麦峠(のむぎとうげ)は、岐阜県高山市高根町野麦(ぎふけんたかやましたかねまちのむぎ)にある峠だ。
長野県と岐阜県の県境になっている。
野麦峠 お助け小屋
〒509-3402 岐阜県高山市高根町野麦592
0577-59-2409
『ああ』野麦峠に行ってみた!名物すな(酸菜)知ってる?蕎麦を堪能するランチ巡り!【旅行VLOG、レビュー】標高1672mと厳しい峠の茶屋でランチ!映画にもなった場所でいただくソバ!女工哀史の歴史も!
駐車場
2024年9月7日、前日は養命酒製造 駒ヶ根工場を見学した。
この日は車で木曽から県道26号線を走る。
御嶽山の山麓を走る快適な道だ。
松本市に入る。
右へ行くと県道26号線で上高地に続くが、この日は左折して県道39号線を野麦峠(のむぎとうげ)方面に向かう。
この道が細くて擦れ違い困難なので要注意。
高知の道よりは広いが(苦笑)
野麦街道に合流した。
旧野麦街道は長野県の史跡に指定されている。
松本から入山(にゅうやま)、黒川渡(くろかわど)、野麦峠を経るルートも利用されていました。この道が一般的には野麦街道といわれ、松本から野麦峠までの呼称となっていました。野麦峠を越える道は、当時天領であり代官所があった飛騨国高山と江戸を結ぶ道として利用されました。信濃からは米、清酒などが、飛騨からは鰤(ブリ 飛騨鰤とよばれました)、塩等の海産物や曲物(まげもの)、白木などが運ばれました。
旧野麦街道 – 松本市ホームページ から引用
江戸時代、松本と飛騨高山を結ぶ道は信州側では一般に「ひだみち」とよばれた。
いくつかのルートがあった。
松本藩が編さんした「信府統記」(しんぷとうき)には、「松本ヨリ飛騨高山ヘノ道程」として、松本から藪原(やぶはら)、寄合渡(よりあいど)、野麦峠を経て高山にいたる道が本道として記されている。
松本から入山(にゅうやま)、黒川渡(くろかわど)、野麦峠を経るルートも利用されていた。
この道が一般的には野麦街道といわれ、松本から野麦峠までの呼称となっていた。
飛騨国高山と江戸を結ぶ道として利用された。
明治に入り岡谷を始めとする諏訪地方で製糸業がさかんになり、飛騨方面の工女達が往来する道でもあった。
「あゝ野麦峠」のモデルになったわけですね。
正月前に2ヶ月くらい休暇をもらって、春になる手前に飛騨から岡谷へ戻った。
野麦街道 展望駐車場
〒390-1611 長野県松本市奈川川浦 野麦街道
野麦街道 展望駐車場を通過。
野麦峠(のむぎとうげ)に到着。
駐車場はとても広い。
あゝ野麦峠
お助け小屋という茶店がある。
ここから展望台まで遊歩道が整備されている。
古そうな建物は、野麦集落の古い家屋を移築したもの。
メチャ風情がありますよ。
映画のポスターが展示されていた。
大竹しのぶ主演。
1979年(昭和54年)に公開された。
1968年(昭和43年)に出版された山本茂実のルポルタージュ『あゝ野麦峠』の映画化作品。
マネキンが当時の服を着ている。
正月前後の雪の中を飛騨までこの姿で歩いていた。
標高1672mの野麦峠は野麦街道最大の難所で、冬は積雪のため峠を越えることが困難となり、およそ10 kmの峠越えの旅程に1日を費やしたほど厳しい道のりであった。
雪道を岡谷から飛騨まで四泊五日で行き来して10年間働いた勤続賞の表彰状。
賞品はタンス。
嘘みたい。
ヒロインの政井みねの死について。
結核になって兄が迎えに来て背負ってここまでたどり着いた。
ここで亡くなってしまった。
レストラン
レストランに向かう。
メニューはこんな感じ。
お土産の蕎麦も販売していた。
おじいは蕎麦定食1,100円。
名物の山ふきの漬物が付いていた。
塩を使わずに赤カブの葉を乳酸菌発酵させた漬け物で、日本の伝統的発酵食品の中でも植物性乳酸菌だけで作る「すんき」は、健康面からも重要だと言えます。
「木曽すんき」のご紹介 から引用
おばあは天ぷらすな蕎麦950円。
高根地区で「すな(酸菜)」と呼ぶ郷土食だ。
蕎麦は真っ黒。
「すな(酸菜)」は赤カブを塩分を使わず乳酸菌で漬けた発酵食品。
見る限り「すな」は見当たらない。
配膳の際に「天ぷら蕎麦」と言っていたので、間違えたようだ。
「すな(酸菜)」を入れてもらった。
酸っぱぁ〜い感じです。
食事を終え、展望台に向かった。