青龍寺とは
独鈷山伊舎那院青龍寺(とっこうざんいしゃないんしょうりゅうじ)は、高知県土佐市宇佐町竜(こうちけんとさしうさちょうりゅう)にある真言宗豊山派の寺だ。
四国八十八ヶ所霊場第36番札所で、本尊は波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)
青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。
キッチンK
この日は2021年1月13日、自宅を車で出発し、キッチンKにやってきた。
この日の日替わりランチは、牛肉スタミナ焼きと海鮮フライ。
変わらぬガッツリ系でダイエットしている人にはお勧めできない(笑)
食後のコーヒー付きで780円とびっくりするくらいリーズナブル。
青龍寺
食後、車で青龍寺にやってきた。
ここから奥の院に行き、明徳義塾高校を経由して戻る予定。
山門に着いた時には既に息が上がっている(汗;)
しかし石段はここからが本番だ。
汗だくになりながら、本堂に到着。
大師堂にも参拝する。
奥の院への道
参拝を終え、坂道を下る。
空海の師だった恵果和尚の墓。
出家した後、不空に師事して金剛頂系の密教を、また善無畏の弟子玄超から『大日経』系と『蘇悉地経』系の密教を学んだ。『金剛頂経』・『大日経』の両系統の密教を統合した第一人者で、両部曼荼羅の中国的改変も行った。長安青龍寺に住して東アジアの様々な地域から集まった弟子に法を授け、一方では代宗・徳宗・順宗と3代にわたり皇帝に師と仰がれた。
恵果 – Wikipedia から引用
ここから登山道になる。
奥の院までは高低差100mほどなのだが、意外と急登がある。
奥の院
奥の院に到着。
ここは土足厳禁なので、用意されているスリッパに履き替える。
参拝する。
ヴィラサントリーニ
フェンスを通り抜けると、ヴィラサントリーニというホテルがある。
その名の通り、エーゲ海のサントリーニ島をイメージした造りになったホテルだ。
碧い海に数多の島々が点在するエーゲ海
中でも三日月の形をしたサントリーニ島は圧倒的なロケーションの美しさを誇っています
断崖に折り重なるように連なる家並
迷路のような路を辿っていけば息をのむほどの絶景が目の前いっぱいに広がって・・・
ヴィラサントリーニはそんなサントリーニ島に建つホテルを
そのままにイメージしたリゾートホテルです
次の休日は大切な方と・・・それともお一人で・・・
日本であることを忘れてしまいそうな白と青の世界へどうぞお出かけください
しかし横浪スカイラインからの入り口には進入禁止の車止めがあった。
横浪スカイライン
ここから横浪スカイラインを歩いて行く。
歩道がないので、少し怖い。
須崎市に入る。
明徳義塾高校
明徳義塾高校(めいとくぎじゅくこうこう)が見えてきた。
野球場の前を通過。
サッカー場まで下りてきた。
明徳義塾高校はプロスポーツ選手を多く輩出している強豪校だ。
木彫館
木彫館(きぼりかん)という施設の入り口の看板が現れた。
今回、しんじょう君が遊びに来た「ちびっこ島木彫り館」は、大量の木彫り人形が展示されている博物館です。 その数実に2600体を超え、今なおその数は増え続けているそうです。
近い将来にはギネス記録への申請も視野に入れていると言う「ちびっこ島木彫り館」、どんな施設なのか見ていきましょう。
須崎が誇る珍百景!大量の木彫りが展示されてるお宝屋敷「ちびっこ島木彫り館」 – しんじょう君オフィシャルウェブサイト から引用
いろいろなキャラクターの木彫り人形が並ぶ、謎の施設だ。
余計なお世話だが、権利関係で問題になりそうに思う。
月ノ瀬マリーナ
月ノ瀬マリーナを通過。
砂浜かと思ったら、牡蠣の貝殻が積もっていた。
宇佐は潮干狩りの名所で、貝が多いようだ。
井ノ尻
井ノ尻マリーナを通過。
USAはアメリカではなく宇佐のことだ(笑)
井尻大師堂に参拝する。
その隣りに国澤将監神社(くにざわしょうかんじんじゃ)が鎮座している。
國澤将監は、はりまや橋の近くにあった国澤城の城主だった。
土佐の戦国時代にゃ、国沢将監能明は本山氏の配下じゃったけんど、永禄3年(1560)の長浜戸の本の戦い以降本山茂辰の大敗が続き本山氏が本山に撤退すると長宗我部氏の支配下に下ったという。 国澤将監が、長宗我部氏の配下になったのが永禄3年(1560)。
更に、40年後の慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、長宗我部盛親が改易になったのは慶長6年(1601)。
この時、国沢将監は香美郡山田山田村に隠棲したと言われちょります。
国澤将監神社 – はりまや橋の近くにあったとされる国澤城城主・國澤将監か – 戦国土佐 | 南北朝から長宗我部氏 から引用
丹生神社(たんじょうじんじゃ)に到着。
「丹」は朱色の原料のこと。当時貴重な赤の塗料は水銀を用い、ここ宇佐の奥の院付近で水銀が採れていたそうだ。
宇佐の宇佐大橋を渡った所に鎮座しちょります丹生神社です。 勧請年月や縁起は不明じゃけんど、御祭神は罔象女命 (みつはのめのかみ)じゃそうで、昔は、丹生大明神(たんじゃくだいみょうじん)と言いよったそうです。
伝承では弘法大師が勧請したと言われちょりますが、この丹生の「丹」とは丹砂(たんしゃ=硫化水銀)の産地であった事をも意味しちょるがです。
丹砂とは、知らず知らずによう目にするがが神社の鳥居等の「朱色」がそうながです。
朱色は、昔から魔除けとか神聖な色とされちょるようで、古代人も赤い色を神聖な色と感じたのか埋葬等に使われちょりますが、当時の物はベンガラ(酸化第二鉄)と辰砂(硫化水銀)を砕いた物が主だったようです。
宇佐湾
宇佐大橋のたもとから、青龍寺を目指す。
向萩の浜(こうぎのはま)にやってきた。
ここにある観光看板で、今日歩いてきたルートを確認する。
竜の浜には大きな駐車場とトイレが整備されている。
三陽荘は鉄泉の素晴らしい温泉がある遍路宿だ。
当館自慢の温泉
旅の疲れを洗い流し、体も心もポカポカに。湯冷めしにくく温まりやすい泉質です。広々とした浴場で、体も心も癒します。
蟹が池
蟹が池(かにがいけ)に到着。
高知県で最大の湿地で、南海大地震研究の地質調査が行われた場所だ。
当地は県下に数少ない湿地のなかでも最大級の面積(約3ヘクタール)をもち、「サクラタデ」「コウホネ」等貴重な湿生植物が多く、トンボ類も多数生息し、渡り鳥の飛来地でもあるので、湿地そのものを保護している。
また、横浪県立自然公園の第一種特別地域に指定されているために多くの行為が規制されている。
桃がチラホラと開花していた。
最高点の標高: 162 m
最低点の標高: -2 m
累積標高(上り): 487 m
累積標高(下り): -492 m
総所要時間: 03:23:58