塚地坂とは
塚地坂(つかぢさか)は、四国八十八箇所遍路道の第35番札所である清滝寺から第36番札所の青龍寺に向かう道中にある峠だ。
高知県土佐市に位置し、昔から鰹を運ぶルートとして多くの人が行き交った。
塚地坂(土佐遍路道青龍寺道)
全長およそ1.6km、標高およそ200mの遍路道で、2016年秋、国の史跡に指定された。
高知県の道で、史跡に指定されたのは、塚地坂がはじめて。
「鰹の夜売りの道」として、鰹を担ぎ、漁港から市街値へ越えた道としても知られる。
頂上からは土佐湾や、弘法大師が唯一認めた航路を一望することができる。
道中には、岩を削ったユニークな仏(磨崖仏)が点在するので、要Check!
ランチ
この日は、まずキッチンKでランチ。
この日の日替わりは、エビフライとハンバーグだった。
この店のランチは鉄板焼きなので、満足感が高い。
ハンバーグが自慢の店だ。
https://niyodogawa.org/blog/niyodogawa/gourmet/7265/
駐車場へ
ランチを済ませ、車で塚地公園へ。
ここは広めの駐車場があるので、ありがたい。
水車がある。
大師の泉という名だ。
よく整備されている。
ハイキングコースの看板。
このルートは、いつも歩いている波介山のハイキングコースの一つになっている。
遍路道
遍路道は、始めは石畳。
非常に整備されているので、歩きやすい。
峠に到着。
ここから、展望台に立ち寄ることにした。
この展望台からは、宇佐の街並みが一望できる。
峠まで戻り、下山する。
途中に竹のベンチがあった。
さっきの展望台といい、手作り感が満載だ。
ここからも宇佐の街並みが見えるので、展望台まで行く必要はないかも知れない。
下山してきた。
宇佐の神社を巡る
路傍には、安政地震の碑が立っていた。
安政地震・津波の碑 | 高知県の観光情報ガイド「よさこいネット」
宝永4年(1707)の宝永地震、安政元年(1854)の安政地震に伴う津波の犠牲者追善と、その被害の教訓を後世に伝えるため、安政5年(1858)に地元有志によって、津波の汐先に近く四国遍路の通路であるこの地に建てられたものである。
碑の本体は、直径約32cm、高さ約66cmの砂岩の円柱で、前面に「南無阿弥陀佛」と大書し、残りの全面には当時の状況と教訓が詳細に刻まれている。
高知県は南海トラフ地震が想定されており、遠くない将来に大地震に見舞われることだろう。
その際に向け、先人の体験を知らしめる貴重な資産だ。
若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)に参拝する。
太刀踊りで有名な神社だ。
若一王子宮
宇佐郷分の氏神。
旧暦9月9日の秋祭りには宇佐花取太刀踊りが奉納される。この踊りの由来については種々の口伝が残っているが、その一つに、かつてこの地方を領した大平氏の末裔が、背後に峻険な山を背負い、清水湧くこの地に農を営んで安住し、往時を偲び武事をたしなみ、この踊りを伝承したともいわれている。
宇佐には神社が多い。
山王神社。
秋葉神社。
恵美須神社。
中にはこんな道路の真ん中に鎮座する神社も。
天照皇大神宮まで来た。
ここは山の上に鎮座し、津波避難所を兼ねている。
石段を登っていく。
かなり急だ。
ようやく社まで来た。
ここは避難所だが、ベンチがおしゃれだ。
「港が見える丘」という、どこかで聞いたことがある名前が付いている。
反対側に下る。
すると、赤く塗られた神社が見えてきた。
稲荷神社だ。
その隣には、不動明王の眷属(従者)とされる南無三十六童子が祀られている。
宇佐は小さな町だが、本当に神社仏閣が多い。
漁港だけに、危険と隣り合わせの仕事をしているからだこそだろう。
道路を歩く
町を出たところに、宇佐しおかぜ公園がある。
ここからホエールウォッチングの船が出ている。
駐車場が広いので、宇佐を観光する時はここに車を停めて歩いて回るといいだろう。
その先には、土佐節発祥の地がある。
ここから仁淀川に出る。
天満天神宮に参拝する。
仁淀川はよく歩いているのだが、この神社に参拝するのは初めてだ。
とても静かで、きれいに掃除も行き届いている神社だった。
さらに阿弥陀堂にも立ち寄った。
お遍路さんの休憩地としてベンチを設置しているようだ。
感想
遍路道を歩いてみると、本当に良く整備されていると思う。
このルートは険しい方だろうが、安心して通れるように地元の人が維持管理していることがよく分かった。
信仰は、こうした努力によって支えられているのだ。
改めて感謝、感謝だ。
合掌。
最高点の標高: 200 m
最低点の標高: -3 m
累積標高(上り): 350 m
累積標高(下り): -355 m
総所要時間: 04:09:33