鳥取県立博物館とは
鳥取県立博物館は、鳥取県鳥取市東町(とっとりけんとっとりしひがしまち)にある博物館だ。
鳥取県立博物館は、県民の教育及び文化の発展に寄与するための施設として久松山下鳥取城跡内に設立され、昭和47年10月1日に開館した総合博物館です。
鳥取県立博物館
鳥取県鳥取市東町2丁目124
0857-26-8042
駐車場
2022年9月27日、この日はふらんす食堂ボナペティでランチを済ませた。
そこから車で、鳥取県立博物館にやってきた。
鳥取城跡にある。
駐車場は無料で、とても広い。
最高点の標高: 71 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 154 m
累積標高(下り): -152 m
総所要時間: 00:23:54
館内
この日は雨のため、屋内施設の見学をすることに予定を変更した。
なかなかおしゃれな建物だ。
「地学・生物」、「歴史・民俗」、「美術」の常設展示を見ることができる。
なんと撮影OKだった。
ちょうど小学生の見学が入っていた。
恐竜の骨などの展示があって、子供が喜びそうだ。
この日宿泊する岩美町で捕獲されたダイオウイカが展示されていた。
浦島太郎が乗れそうだね。
縄文時代の丸木舟も展示されていた。
チケットはオオサンショウウオの写真(笑)
先日参拝した投入堂の模型もあった。
日本一「危険」な国宝、と言われている。
詳しくは、その時の動画をご覧下さい。
「サネモリさん」という藁人形があった。
虫送り行事に使う物だ。
兵庫県との県境の村、若桜(わかさ)町つく米では、夏の虫送り行事に「サネモリさん」という藁(わら)人形が作られる。
人形に武将の姿で、両手には害虫を入れた紙包みをさげる。村の中の害虫を追い払うため、村人は人形を担いでで練り歩き、最後に人形を県境の向こう側へ捨てる。
民間信仰/とりネット/鳥取県公式サイト から引用
高知県では「ワラジ」を使い、「サイトコベットコサイノモリ 稲の虫は西へ行け」という掛け声をかけながら練り歩いている。
源平合戦で討ち死にした斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が稲の害虫となったと言い伝えられている。
大ワラジを担ぐのは実盛が討ち死にした時の怨念が虫になり、履いていたワラジから出て稲に害を及ぼしたといわれ、実盛の供養のためにワラジが作られるようになったそうです。
高知県 土佐町公式ホームページ から引用
仁風閣
見学を終え、向かいにある仁風閣(じんぷうかく)に向かう。
分かっていないおじい。
なんとか会館。
仁風閣は1907年に建てられた元鳥取藩主池田家の別邸だ。
国の重要文化財に指定されている。
仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月のことで、鳥取池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、宮内省匠頭であった 片山東熊(かたやまとうくま)工学博士に池田家の別邸として設計を依頼し、工部大学校で片山博士の後輩にあたる鳥取市出身の橋本平蔵(はしもとへいぞう)工学士が監督しています。
仁風閣とは | 仁風閣・宝扇庵 から引用
仁風閣
鳥取県鳥取市東町2丁目121
0857-26-3595
この敷地は、鳥取城の扇御殿だった場所だ。
鳥取城は久松城(ひさまつのしろ)とも呼ばれ、羽柴秀吉の兵糧攻めで知られる。
「宝隆院庭園」は鳥取市指定名勝になっている。
仁風閣は皇太子の宿舎として利用することを想定して建設された。
木造2階建て白亜塗りのフレンチルネッサンス様式の建物。
2つの庭園を有する。
現在は公益財団法人鳥取市文化財団が管理している。
入館料は150円。
ペンキが剥げている。
仁風閣館内
靴を脱いで見学するようだ。
バルコニーから見える庭が素晴らしい。
あのベンチに座ると似合うでしょ。
らせん階段が美しい。
皇族も使ったであろう、トイレ。
2階バルコニーはガラス張り。
ニュージーランドに行った時、テカポ湖で宿泊していたコテージのサンルームを思い出す。
くつろぐおばあ。
「舞姫」のロケ写真に郷ひろみが映っていた。
「るろうに剣心」のロケもあったようだ。
らせん階段を上から見てみた。
宝隆院庭園
宝隆院庭園に出てみた。
残念ながら大雨で水没しているので、中に入るのは遠慮した。
城跡に上れるようだ。
ここから見る仁風閣は美しい。
擬宝珠橋という、日本の城に架かる木造橋としては最長の橋がある。
それだったのに、違うと思っているおじい。
鳥取城跡 擬宝珠橋
鳥取県鳥取市東町2丁目201
鳥取城三ノ丸跡まで上がってきた。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 15 m
最低点の標高: 5 m
累積標高(上り): 15 m
累積標高(下り): -15 m
総所要時間: 01:19:35