小野神社(信濃国二之宮)
2024年6月27日、この日は高ボッチ高原(たかぼっちこうげん)を歩いた。
そこから車で国道153号線を走り、天竜川と信濃川の分水嶺を通過。
日本海、太平洋の分水嶺。塩尻市と辰野町を結ぶ三州街道(現在の国道153号線)が通っています。善知鳥峠は、古くから伊那谷と松本平とを結ぶ重要な道路で、中馬による物資の交流や善光寺参り等、大変にぎわいました。
峠の頂上付近には分水嶺公園が設置されています。
善知鳥(うとう)峠 | 塩尻市観光協会 から引用
小野神社(おのじんじゃ)にやってきた。
宿場町を歩く!中山道、三州街道の小野宿の歴史【旅行VLOG、レビュー】信濃国二之宮の小野神社!なぜか隣接する矢彦神社の謎!この地独特の本棟造り旧小澤家住宅!小野宿問屋!南塩終点の地!みどころを紹介
小野神社(おのじんじゃ)は、長野県塩尻市北小野(ながのけんしおじりしきたおの)にある神社だ。
駐車場は舗装されていないが、10台ほど停められそうだ。
小野神社(信濃国二之宮)
〒399-0651 長野県塩尻市北小野175−1
090-9664-2526
まず案内看板でルートを確認。
一旦国道まで戻り、表参道から参拝することにした。
「御柱門」がある。
諏訪大社の御柱祭(寅年と申年)の翌年に、式年御柱大祭を行っている。
小野神社は信濃国二宮で、祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)
創建は不明だが、1237年には既に存在していたと考えられている。
隣には矢彦神社(やひこじんじゃ)が鎮座する。
長野県の県宝に指定されている。
寛文12年(1672年)に焼失したため、松本藩主の水野忠直が再建した。
社叢は長野県天然記念物に指定されている。
社叢の面積は36,326平方mで150種類以上の植物、巨木も多い。
木曽義仲がここで戦勝を祈った後、平家の大群を破滅さた。
神の加護に感謝した義仲が木曽から木を切り出し、同社を造営したと伝わる。
夫婦杉。
信濃国二宮。
本殿の左に副本殿があるのは、御柱祭の際に一方からもう一方へ遷座するため。
手前に勅使殿、右に八幡宮本殿。
この奥に御柱が見える。
社叢は禁足地になっているので遠望するだけだ。
諏訪大社などは本殿を取り囲むように四隅に配置されているが、ここはいびつだ。
矢彦神社
土俵の横を通って、隣の矢彦神社(やひこじんじゃ)に向かう。
御柱は小野神社、矢彦神社の両方にある。
古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されるほどあでやかだという。
きらびやかな衣装が特徴になっている。
矢彦神社の一の御柱。
小野神社、矢彦神社はもともとは一つだったと考えられている。
天正19年(1591年)に飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いで豊臣秀吉の裁定によって、唐沢川を境に筑摩郡の北小野村と伊那郡の南小野村に分けられたことに伴い、神社境内も分割された。
勅使殿は江戸時代の創建。
県宝に指定されている。
拝殿は天明二年(1782年)の創建。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命 (ことしろぬしのみこと)
社伝によると、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという。
矢彦神社は南小野の飛地という扱いとなり、この状態が現在に至るまで続いている。
住所はここだけ塩尻市ではなく上伊那郡辰野町小野だ。
4本目の御柱を発見。
車山の神社にもありましたね。
小野神社の「ねんじり棒祭」の説明看板。
塩尻市無形民俗文化財の「ねんじり棒祭り」が6日、北小野の小野神社(宇治橋淳宮司)で行われた。一年の五穀豊穣を願う伝統行事で、小学生から大人まで計約130人が生木で作った「ねんじり棒」を引き合った。
梵鐘は永禄7年(1564年)に武田勝頼が戦勝祈願のため鋳造・寄進したもの。
庭園は大正中期に庭師「萩原苔山」の指導により造られた。
小野宿
車で移動する。
旧小野家住宅にやってきた。
小野宿問屋としての姿を今日に伝え、県宝に指定されている。
宿問屋としての姿を今日に伝え、小野宿町並みの中心部の景観を形成する重要な建物のひとつです。小野宿は三州街道の宿場として栄え、今も旧本陣造り豪邸をはじめ、歴史を刻みこんだ旧家が建ち並びます。旧小野家住宅(小野宿問屋)については、4月から11月までの月1回と、春・夏・秋に特別公開を実施。詳細はお問い合わせください。
小野宿問屋
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野952−1
0266-41-1681
江戸時代まで、小野宿(おのじゅく)は中山道の宿場町だった。
中山道塩尻宿から飯田方面へ通じる伊那街道の一番目の宿場が小野宿でした。現在でも当時の面影を残す建物が大切に保存されています。
小野宿/辰野町公式ホームページ から引用
塩尻宿経由のルートに変更された後、三州街道の小野宿として、明治まで続いた。
小野宿問屋は初期中山道が廃止されて間もなく、伊那街道小野宿の問屋場となった。
安政6年(1859年)3月の大火災後に建築された本棟造りの宿駅民家で、その豪壮な構えは宿場町の中心的存在にふさわしい景観である。
4月から11月までの月1回と、春・夏・秋に特別公開を実施している。
周囲には古そうな家が現存している。
旧小澤家住宅(油屋)
三州街道沿いに位置するかつての旅籠で、通りに東面して建つ。切妻造り妻入り鉄板葺きで、街道に沿って長大な間口を構えている。宿場の印象的な景観をつくっており、現在は地域交流施設として活用している。
※長野県(教育委員会) プレスリリース 令和6年(2024 年)3月 15 日から引用
本棟造り(ほんむねづくり)という長野県南部独特の建物だ。
旧小野郵便局局舎。
登録有形文化財。
ここから先は旧雨沢村。
高札場がある。
矢彦神社の飛び地は、この村の飛び地だ。
小野光賢・光景(おのみつたか・みつかげ)記念館。
幕末から明治にかけて活躍した小野出身の実業家だそうだ。
幕末から明治にかけて行政面や生糸貿易などで横浜の発展に大きく貢献した、小野出身の小野光賢・光景父子の記念館です。郷里小野の発展にも尽力し、記念館には住時を物語る品が並びます。
ここは塩の道の終点の地だ。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 883 m
最低点の標高: 709 m
累積標高(上り): 248 m
累積標高(下り): -305 m
総所要時間: 01:11:24