成山和紙の里公園とは
成山和紙の里公園(なるやまわしのさとこうえん)は、高知県吾川郡いの町成山(こうちけんあがわぐんいのちょうなるやま)にある公園だ。
土佐七色紙(とさなないろがみ)の発祥の地で、仁淀川が太平洋に流れ出す絶景を見下ろすことができる。
フライパン
2022年2月18日、この日は自宅を車で出発し、フライパンにやってきた。
古民家を改装したお店で、昭和レトロが好きな人には垂涎の的だ。
俺はポークジンジャー定食。
サラダがあるのに、さらに別皿でサラダが来るという謎仕様(笑)
このサラダのドレッシングがお気に入り。
ツレは酢豚定食。
椙本神社
食事を終え、椙本神社(すぎもとじんじゃ)まで歩いてきた。
秋祭りは土佐の三大祭のひとつとして有名だ。
2月20日には大国祭が開かれるようで、飾り付けされていた。
登山道
参拝を終え、歩いて行く。
このルートを歩くのは、2018年以来と久しぶりだ。
成山和紙の里公園(なるやまわしのさとこうえん)を目指す。
途中で、仏ヶ峠への登山道に入る。
杉の木がねじ曲がっているのは、積雪のせい、ではないね(笑)
急坂で息が切れる(汗;)
この登山道は何度か歩いているが、人と初めてすれ違った(笑)
車道に出てきた。
積雪している。
雪が残っているが、汗びっしょりだ。
前回は間違えてこちらに歩いて行ってしまった。
このルートの最高地点、標高453m地点を通過。
成山和紙の里公園
成山和紙の里公園に到着。
ここから太平洋まで見渡せる。
ここでミカンタイム。
ここは土佐七色紙(とさなないろがみ)の発祥の地。
女子トイレの手洗いの水が出ないと怒るおばあ。
新之丞の碑
七色橋を渡る。
ここに新之丞(しんのじょう)の碑が建っている。
土佐に製紙技術を伝えた新之丞は、技術が他国に伝わるのを恐れた安芸家友に殺された。
新之丞は、藩政時代初期に伊予より現在のいの町成山に移り住み、安芸家友に製紙技術を伝えた。 その後、この地区を出ようとして、技術が他国に伝わるのを恐れた家友に殺害されたと伝えられている。
いの町成山の仏が峠に、この新之丞を弔う記念碑が建てられている。
村次地蔵堂
その先に、村次地蔵堂がある。
村次という若者が3人の娘に恋され、結ばれないと覚悟を決めた村次は3人を斬り殺し、切腹した。
死にきれなかった村次を見た兄は「ここでは娘達に義理が立たぬ」と娘達の遺体の所あるまで連れて行き、手と手を取り合わせ村次に留めを刺したという。
まるで私のようなお話。
その上にある八坂神社に参拝する。
帰路
ここから車道歩き。
うば屋敷跡まで歩いてきた。
長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の妹の養甫尼(ようほに)は、夫の玄蕃城主、波川清宗(はかわきよむね)の死後、ここに移り住んだ。
波川玄蕃清宗は長宗我部元親の妹を妻にして元親とは義兄弟の間柄です。しかし元親に謀叛を企てたとして、天正8(1580)年、47歳でもって阿州海部(現、徳島県海部町)で切腹をさせられ相果てました。波川の城は清宗の死後一族が滅ぼされて消滅したと推定せられています。
甥の安芸三郎左衛門(あきさぶろうざえもん)とともに、新之丞から紙の製法を習得したという。
恐ろしい橋を発見(苦笑)
渡ってみて。
登山道との分岐点にやってきた。
最高点の標高: 458 m
最低点の標高: 17 m
累積標高(上り): 577 m
累積標高(下り): -577 m
総所要時間: 03:08:12