しゃぶ膳
2024年3月13日、この日は自宅を車で出発し、高知市春野町にある「しゃぶ膳」にやってきた。
前回来た時は工事中だった。
この日の日替わりランチは、若鶏の竜田揚げ。
デザート、コーヒー付きで1,210円だ。
絶品ランチ体験!しゃぶ膳/高知市春野町のしゃぶしゃぶ!コスパ最高!【旅行VLOG、レビュー】食後は松尾八幡宮〜清瀧寺ウォーキング!四国八十八ヶ所霊場第35番札所で高岳親王の由緒が残る古刹!
今回は日替わりランチではなく、お昼のシャブシャブにした。
肉は一人一皿で出てくるので、喧嘩にならずに良い(笑)
つけだれがゴマとポン酢の2種類出てくるのも嬉しい。
しゃぶしゃぶ〜〜!
おじいには上等ですね。
松尾八幡宮
食事を終え、車で松尾八幡宮(まつおはちまんぐう)にやってきた。
長い参道が続く。
「四国のみち」になっている。
千百有余年の昔、人皇第51代平城天皇の第3皇子高岳親王が創建されたと伝えられている。境内には、ハナガガシ(葉長樫)があり、土佐市指定の天然記念物になっている。また、この周辺にはタチバナも自生しており、「甲原松尾山のタチバナ群落」は国指定の天然記念物になっている。
清滝さんから竜へのみち | 四国のみち から引用
広い駐車場がある。
松尾八幡宮は、高知県土佐市高岡町(こうちけんとさしたかおかちょう)にある神社だ。
1,100年以上の歴史を持つ。
由緒書き。
人皇第51代平城天皇の第3皇子高岳親王が創建されたと伝えられている。
高岳親王は810年の薬子の乱(くすこのらん)で追放された。
空海に師事して清瀧寺(きよたきじ)に逗留中、京都の産土神岩清水八幡宮をここに勧進した。
薬子の変(くすこのへん)、または平城太上天皇の変(へいぜいだいじょうてんのうのへん)は、平安時代初期に起こった事件。810年(大同5年)に故桓武天皇皇子である平城上皇と嵯峨天皇が対立するが、嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことによって、平城上皇が出家して決着する。平城上皇の愛妾の尚侍・藤原薬子や、その兄である参議・藤原仲成らが処罰された。
薬子の変 – Wikipedia から引用
石段が手強い(汗;)
拝殿はまだ新しい。
手水は「手洗岩」と呼ばれる。
明治時代に蔓延したコレラ撲滅を祈願して、竜の浜から運んできた。
本殿も大きい。
清瀧寺
レンゲが咲いていた。
高速道路の下をくぐって進む。
歩き遍路の休憩所がある。
清瀧寺(きよたきじ)は、四国八十八ヶ所霊場第35番札所だ。
山号は醫王山。
六地蔵がある。
ここから遍路道に入る。
車道もすれ違い困難なほど細いので、歩いて行くことをお勧めする。
仁王門まで歩いてきた。
天井画は龍で、明治時代に描かれた。
石段に心が折れそうになる(苦笑)
到着です。
巨大な薬師如来像が出迎えてくれる。
台座部分が戒壇巡りになっているのだが、新型コロナウイルス以降は閉鎖されたままだ。
本堂から大師堂まで繋がっている。
本尊は厄除薬師如来(やくよけやくしにょらい)。
723年に行基菩薩がこの地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。
これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・釋本寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。
松尾八幡宮を創建した高岳親王は、ここで修行したあと唐に渡った。
護摩堂。
大師堂。
境内に鎮座する琴平神社は、1831年に再建された。
納経所の前に展望台がある。
高岳親王逆修塔は高知県の史跡になっていて、立ち入り禁止。
帰路
帰りは別の道を通っていく。
最高点の標高: 136 m
最低点の標高: 9 m
累積標高(上り): 232 m
累積標高(下り): -232 m
総所要時間: 01:42:35