雪蹊寺とは
高福山高福院雪蹊寺(せっけいじ)は高知県高知市長浜にある第33番札所だ。
臨済宗妙心寺派で、薬師如来を本尊とする。
四国八十八ヶ所霊場公式ホームページ:第33番札所 高福山 雪蹊寺
弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。
その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。
元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。
遍路道を歩く
この日は種間寺から徒歩で雪蹊寺を目指した。
へんろ道の道標を遡る。
田園を抜け切り通しを通ると、長浜だ。
この日は道路工事をしている最中だった。
まず、竃土神社に参拝する。
少し休憩し、雪蹊寺へ。
雪蹊寺
まず本堂で参拝。
まだ新しい。
薬師如来像は鎌倉時代の運慶の作だそうだ。
雪蹊寺 – 高知市公式ホームページ
仏師・運慶の作と伝えられる本尊薬師如来像や、運慶の子・湛慶の作と伝えられる毘沙門天三尊像等、国の重要文化財に指定されている仏像がある。
大師堂に参拝する。
境内には多くの社が鎮座する。
その他、長宗我部元親の長男である長宗我部信親の墓もある。
秦神社
隣には、秦神社(はだじんじゃ)が鎮座する。
長曾我部元親を祭神とする神社だ。
秦神社 – 高知市公式ホームページ
『秦』の名は、長宗我部氏の先祖が「秦」姓であったことに由来するものである。この神社の社宝とされている「絹本著色長宗我部元親画像」は、国の重要文化財に指定されており、今日に伝わる唯一の元親の肖像画である。現在その肖像画は高知県立歴史民族資料館に寄託されており、複製画が一般公開されている。
境内はとても広い。
最近のゲームブームで、武者姿がやたらイケメンだ(笑)
境内に、大坂夏の陣で処刑された長宗我部盛親の慰霊碑が新設されていた。
秦神社御由緒
大坂城落城400年を迎えた平成27年には、長宗我部盛親公400年忌祭が秦神社で執り行われ、また境内には盛親公の御遺徳を偲び顕彰する有志達により、慰霊碑が建立されました。
この裏山が、長浜城址だ。
若宮八幡宮
秦神社から徒歩で若宮八幡宮に向かう。
若宮八幡宮について
永禄3年(1560年)長宗我部元親公が父国親公に従い本山氏の支城であった長浜城を攻略した際、当社の馬場先に陣所を構え一夜心静かに戦勝を祈願し初陣にのぞみましたところ、見事にこれを討ちやぶることが出来ました。元親公はまだ22歳の若武者でした。
このことから、当社を出陣祈願の社と定め、社殿を出蜻蛉(でとんぼ)式建築に改めたことは有名です。とんぼは一名勝虫ともいわれ、昔から縁起のよい虫とされています。
手水。
拝殿の右には、槍通す輪がある。
祭典・行事
また境内には「槍通す輪」が立ち、今年の運勢を自分で切り開く覚悟を確認することが出来る縁起物と話題を呼んでいます。
輪に願い事を書いてここに立っている槍に向かって投げ、輪が通れば願い事が叶うらしい。
鳥居はとても大きい。
旗印は長曾我部のものだ。
参道には公園があり、長曾我部元親の銅像が建っている。
なかなか凜々しい銅像だ。
いろいろな展示もある。
ここはどろんこ祭りの会場になっている。
どろんこ祭り – 高知市公式ホームページ
若宮八幡宮で行われる400年以上の歴史を持つ五穀豊穣,無病息災を祈る春祭り。山内家二代藩主忠義公の時代に始まったとされるほか,それより昔の長宗我部氏の時代に始まったとされるなど,起源には諸説があります。
浴衣姿の女性が男性の顔に泥をぬり,泥をぬられた男性はその夏病気をしないといわれています。4月第一土曜日から3日間,長浜を中心に桂浜や高知の市内まで浴衣姿の女性が繰り出します。
土佐の三大奇祭の一つに数えられています。
参道はとても長い。
ようやく参道を出た。
史跡コースの看板。
海岸線を通り種間寺へ
このまま南進し、海岸を目指す。
花街道と呼ばれる海岸線の道を、種間寺まで戻った。
感想
雪蹊寺は秦神社に隣接し、その歴史からも一体となっている。
どちらも長曾我部元親にゆかりが深く、往時の繁栄が偲ばれる。
せっかく雪蹊寺に来たならば、元親が初陣に祈願した若宮八幡宮と併せ参拝して欲しい。
最高点の標高: 11 m
最低点の標高: -10 m
累積標高(上り): 200 m
累積標高(下り): -199 m
総所要時間: 03:45:46