大善寺とは
大善寺(だいぜんじ)は、山梨県甲州市にある寺だ。
真言宗智山派で山号は柏尾山、本尊は薬師如来。
当寺の開創は養老二年(718)。行基菩薩が日川渓谷の岩上で、霊夢により感得された像 ~ 手に葡萄を持った薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊 ~ を刻み安置して開かれたと伝えられます。
縁起 -真言宗智山派 柏尾山 大善寺- から引用
大善寺
〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
0553-44-0027
ぶどう寺!?【国宝】薬師堂は関東周辺で最も古い木造建造物!【山梨県観光】日本ワイン発祥の地!住職の手づくりワインを飲める!【旅行VLOG、レビュー】武田勝頼と新撰組ゆかりの寺!
駐車場
2025年9月4日、前日は東京都文京区(とうきょうとぶんきょうく)にある加賀廣(かがひろ)音羽店で夕食を済ませた。
この日は車で首都高速道路5号線を走る。
中央高速道路に入る。
勝沼IC(かつぬまインターチェンジ)で下りる。
国道20号線(甲州街道)を進む。
大善寺(だいぜんじ)にやってきた。
ゲートがあるが受付に行って料金を支払うシステム。
中央高速道路の勝沼ICを降りてすぐの場所にある。
薬師堂
薬師堂は国宝に指定されている。
別名「ぶどう寺」
勝沼町といえばブドウ栽培で有名だ。
普通は抹茶セットみたいなものがあるんですがここはワインかブドウジュースだそうです。
勝沼町のぶどう栽培は700年以上の歴史を持つ。
日本ワイン発祥の地としても有名。
山門は山梨県指定有形文化財。
寛政10年(1798)に再建されたもの。
養老2年(718)に行基(ぎょうき)が開創したと伝わる。
天正十年(1582)3月3日に武田勝頼は戦勝を祈願してここで一夜を明かした。
当時勝頼の乳母がここで尼僧となっていた。
3月11日に勝頼は自決し甲斐源氏は滅亡する。
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
縁起 -真言宗智山派 柏尾山 大善寺- から引用
慶応4年(1868)新撰組の近藤勇はここで新政府軍と戦った。
戦闘は3月6日正午頃から始まりましたが、わずか2時間程で甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走することになりました。
縁起 -真言宗智山派 柏尾山 大善寺- から引用
この石段がなかなか手強そうです。
体がなまっているからしっかり登らないと。
日本遺産に指定されている。
寺伝によれば開創は養老2年(718)とされる。
平安時代には五十二堂三千坊の隆盛をみた。
聖武天皇は鎮護国家の勅額(ちょくがく)と柏尾山の山号を与えた。
行基が霊夢に見た手に葡萄を持った薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊を刻み安置し開創した。
私も気を感じます。
楽堂。
おばあが中に入っている。
おじいも入ってみる。
1677年の再建。
いいとこじゃないですか。
これ紅葉したらきれいだろうね。
稚児堂。
薬師堂。
弘安9年3月16日(1286)の刻銘があり関東周辺で最も古い木造建造物。
内部の撮影は禁止だった。
干支の十二神像があった。
本尊の薬師三尊像は秘仏で5年おきに開帳される。
平安初期の作と考えられている。
手にブドウを持った薬師如来像。
晴れていれば北岳、農鳥岳など南アルプスを一望できる。
宿坊
芭蕉句碑。
開運地蔵堂。
行者堂。
毎年5月8日に藤切り祭が行われている。
役行者の大蛇退治伝説にちなむとされており富士山信仰だといわれる。
これが切られた藤だろう。
大蛇を形どった藤の根を切り落とし、それを若者が争奪するという勇壮なお祭り。
藤切り祭は、甲州市勝沼の大善寺で行われる千三百年来続くお祭りです。
毎年行われるこのこの藤切会式大祭は、高さ三間半(6.3m)もある御神木から七尋半(いちひろ=約六尺)の大蛇を形どった藤の根を切り落とし、それを若者が争奪するという勇壮なお祭りです。
大蛇を見事手に入れた者は、その一年無病息災といわれ大変な御利益があるといわれています。
トイレはとてもきれいだ。
武田勝頼の乳母の理慶尼の墓。
境内にブドウ畑があった。
住職の手づくりワインとして販売されている。
ワイン関係の方が寄進されています。
宿坊に入ってみる。
庭の見える広間でブドウジュースをいただく。
盆栽ならぬ盆ブドウ。
ブドウジュースはなんと本物のブドウ付き。
車なのでワインではなくブドウジュースで乾杯。
車で先に進んだ。

当寺の開創は養老二年(718)。行基菩薩が日川渓谷の岩上で、霊夢により感得された像 ~ 手に葡萄を持った薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊 ~ を刻み安置して開かれたと伝えられます。
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
戦闘は3月6日正午頃から始まりましたが、わずか2時間程で甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走することになりました。
藤切り祭は、甲州市勝沼の大善寺で行われる千三百年来続くお祭りです。